Tda式ミク・アペンド!
2012年 03月 01日
これ・・・、
もう、漫画家とかイラストレーターが描く「萌えキャラ」の絵柄が、そのまんま3D化されちゃってるレベル。
[Tda式ミク・アペンド]美し過ぎて生きるのがつらいです[モデル紹介]
ここまで出来るのなら、あらゆる作家さんの絵柄をMMD動画の世界に持ち込めるということになるのかな?。
「lat式ミク」辺りがMMD動画的な制約のひとつのリミットなのかな?と、思っていたけど・・・。
それ以上は、もう、タダで配布する汎用性ツールのレベルではなくて、プロがやる、まぁ、言ってみれば、映画や広告、テレビなどに露出していく『予算のかかるプロジェクト』になっていくんだと思っていたけど・・・。
どうやら、とどまる所を知らないようだ。
プロのクリエイター集団の犯行でしょう?。これ。(違うのかな・・・)
[Tda式ミク]モデルを使用した一般投稿家の動画作品も既に見受けられる。
んで、
面白いのは、一般の反応ですね。
なんでも"予想を超えてしまうと戸惑い"があるものですが、
この「Tda式ミク」を大絶賛する視聴者のいる一方で、これまでのMMDボーカロイドデザインの、ちと「舌足らずな寸止めクォリティゆえの愛らしさ」に馴染んでいた向きには、「こんなのもう、ミクじゃねぇ!(Tda式のこと)」的な意見もちらほら。
ふむ。
そういう反応も分かるような気がする。
少しばかりの未完成度感や、なんとなく「拙い感じ」を残す個性とか、
大雑把さ、アク(個性)の強さってのが、
多くの人に支持されるような漫画作品やアニメの絵柄にはあったりするものです。
なんとなくの拙さや、読者、視聴者が、その絵柄、画風に親近感を抱くベクトルというのは「まだ脳内補足をする余地があるもの」や、それぞれの受け手の中で「私の好きなキャラクターとして補完される(いじりなおしても良い)余地のあるもの」が 、より多くの支持層を得たりする場合もある。
(日本が、欧米文化的な「リアリティ」の造形概念とは別な、独特な「愛らしさ」や「漫画的な記号」を愛して発展してきたコミック・アニメ文化の隆盛の根源はそんなところにある。~もちろん欧米文化にも「愛らしいもの」はいっぱいある。ただ、向こうのスタンスでは、それは『大人が子ども達のために用意した"子供文化"』であって、子供を置いてけぼりにしたり、大人がはしゃいでいては眉をひそめられる不文律があった。・・・日本のコミックやアニメは、青年や大人が喜んでいいベクトルをふんだんにもっている。)
もっとも、もう圧倒的に「リアル!」、「シリアス!」、「凄い描き込み(情報量)」の画風とかが、これはもう神業的であるとか、まさしく玄人の芸なればこそでコアなファンを産むケースは納得できる。
が、ユニークなことに、そこまで神憑りになってくると、拒否反応を示す受け手も少なからずいたりするものだ。
「隙がなさすぎる。だから、しんどい」というのが、まぁ、あったりするのだ、人って。
こればっかりは、色々なものがあるからこそ「素晴らしい!」としか言いようがない。
「MMD的萌え」の方も、それはそれで、同じようなことが言えるのではないだろうか?。
汎用性のあるものと、「画風がある方向に完成されるほど特定化される」感触もあって、これはユーザーの好みが別れるところなのだ。
でも、
何かを支持したり愛する時に、他方を「貶したりする」のは恥ずかしいことだし見苦しいことだから、そこは『うん、それも素敵だね。わたしの好きなのはこれなんよ♪。』で、人それぞれがあっていいのではないでしょうか。
だからこそ、コミックやアニメも同じような絵柄の溢れている一方で、それでも「いゃぁ~、やはり多種多様。いろんなものがあって楽しい」というくらいに、個性的な才能も溢れているから素敵なんだと思う。
にしても、
3Dキャラの制作流儀には限界はないようだ。
「Tda式ミク」の「チビミク」ももうUpされていた(笑)。
まだまだ進化しそうである。
言い足しておきたい肝心なことがもうひとつ。
そんなこんなで、では、既に過去に配布され、馴染まれ愛されて数多くの「名作」を排出してきたモデルが、新しいツールの登場で作品ごと色褪せたり押し流されていくハズはない。
強いて言えば選択肢の多様化くらいに思うのが自然。
「古い」「新しい」というのは、価値観としてはそれが至上の"ものさし"にはならないのである。
それを良いフィーリングに出来るかは、結局、どう扱えるかという「人のイマジネーションこそがいつも主役」というのが大切なのだから。
だって、同じキャラクターツールだけが並んでいる動画サイトもつまんないでしょ?。
同時にあらゆるキャラクターツールが元気に存在している方が楽しいもの。
by PINKNUT_INC | 2012-03-01 03:36