阪神淡路大震災、15年

今朝で阪神淡路大震災から15年が経った。
 
5歳の子供が成人する年月です。
 
昨夜、テレビで『神戸新聞の7日間』という、震災当時をドラマ化した映像があった。
自らも被災した地元新聞社「神戸新聞」の葛藤の7日間を描いた内容でした。
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ちなみに私、原口は「神戸原人」です。神戸で生まれて神戸で育ちました。今も神戸にいます。
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ドラマの舞台のひとつになった「神戸新聞社」が入っていたビル。(震災当時に倒壊危険建造物として、ほどなく解体された。)
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一種の雑居ビルだったので、左下に文字が見える7階だったかが映画館フロア(シネマ1、シネマ2)になていて、私も子供の頃からここでよく映画を見た。
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震災直後、倒壊した民家から埋もれた人を救おうと近所の人々が協力していた。(プロの救出隊なんて来ないからだ。)写真の倒壊家屋以上にぺしゃんこ瓦礫になっている家屋を私もいくつも見た。マンションも傾いたり、バッテンに大きな亀裂が入って鉄筋が剥き出しになっていたりした。
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ドラマの中で、こんなシーンがある。火災の発生した被災地の焼け跡で、何かを掘り起こして探している少年がいた。
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取材していた記者が何を探しているのか訊ねると、「お母ちゃんを探してるねん・・・。」と少年が金ダライを差し出した。
中には焼けススだらけの骨が入っている。それが、彼が探しいるという母親のことだった。
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こちらは、再現ドラマではなく、本当の写真。
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神戸、長田、須磨がとりわけ悲惨だったのは、倒壊のあと「火災」が同時多発に起きて、誰も火を消せなかったことだ。

私の身の内にも、15年経っても尚、依然として生々しいものがある。
 
私が経験した、あの震災の初っぱなの感覚を描写した映像や言葉には、まだ出会っていない。(アニメでは「東京マグニチュード8.0」というのがあったが、都市の直下型大地震の一発目が、どれほど空恐ろしいものか、きっと新しい作品なら描けているんだろうな・・・と思って見てみたら、なんか違っていた。被災経験のある作家とか、「言葉で伝えられる人」の参画や、取材をなんぼでもしているだろうに・・・?、と、こうした作品を見るたびにいつも思う。~註釈:「東京M8.0」は物語としては、とても良い作品で、感動出来る内容です。~)
 
・・・「絵が描けるんだから、(他作品なり、映像や文章で、あの衝撃波にお目にかかれていないと思うのなら自分が)描かなきゃなぁ。」と思いつつ、やぱり描けないで来た。
 
被災後に私が描いたのは「魔物な彼女たち」や「シスターヴァイス」だった。
      
積極的には「震災経験」を描きたくはないのだから仕方がない。
 
描きたいのは「アクション」や、「なんのことはない日常生活」や、「癒し」や、「わくわく」や、「楽しいこと」であって、・・・でも、まぁ、きっと、そういうものを描きたい心理のどこかには、『突然に失われる日常がある』ということを踏まえた上で、色々と楽しいことを考えているのかもしれない。 
               
15年経ったのか。
        
あの時も寒い真冬でした。 
                  
今、ホントに底冷えのする毎日ですね。(ほんの少し、1~2日前より、今日などはマシかな?。)
                   
皆さんも、寒さ対策をして日々、ご健勝にお過ごしくださいませ。
                             
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