アニメ『CLANNAD ~After Story~』第16話のレビュー

アニメ『CLANNAD ~After Story~』第16話に関しての感想・・・。 
タイトルからして予感させるものがある。

(※ちなみに、ほんの2~3週間前くらいから、地上デジタル・チューナーを装備していない録画デッキでは、意地悪く「アナログ」の文字が右肩に入るようになった。
はっきり言って、邪魔。意地悪(泣)。)

第16話「白い闇」
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ただ、赤ちゃんがまもなく誕生する用意は整っていた。
 
朋也と渚の若い夫婦、そうして生まれてくる子供、汐(うしお)の穏やかな幸せを祈る表札。
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久しぶりに集まった友人達の中で、大きなお腹の妊婦さん渚。【左端】

しかし、Bパートに入ってからが、もう、なんという描写でしょうか。

本来は娯楽作品です。
エンターテイメントです。
ですが、緻密な描写が時に何かの枠を超えてしまうことがあります。
 
「アニメ恐るべし」・・・・・・・・。
 
ここからの描写は言葉がありません。
(また、この回の音楽~BGMの効果は凄かったです。)
 
ドラマは冬の大雪に、交通機関のマヒした地方都市において、予定より2週間早い自宅出産を(もともと病弱な渚が)余儀なくされる展開に。
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妊婦の悲鳴や、悪戯(いたずら)に出産時のリアルな描写は一切ありません。最低限度の声優さんの演技と、ほとんど間接的に、朋也のナレーションによって状況が淡々と語られるばかりです。(かえって、それが真に迫る。語られている言葉の意味するところは悲痛だから。)
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やがて、産声。
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(画面はソフトフォーカスになって、以降、朋也と渚と、赤ちゃんだけの世界になる。)
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生まれたばかりの赤ちゃんを抱いた、朋也が気の抜けたようなトーンで「渚・・・」と妻に呼びかけるシーン。
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さらに強く渚に呼びかける。
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うつろに目を開けて、それでも確かに我が子を見る渚。
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「・・・はい、・・・可愛いです。・・・汐(しお)ちゃん・・・。」
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一所懸命に語りかける朋也。渚に語りかけ続ける朋也。
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だけど・・・・・・、
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渚が、逝ってしまいました。 
その表情を、・・・肌に残った汗を・・・。
なんという描写でしょうか。
力無く朋也の手からすり抜けて落ちるばかりの渚の手。
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その手の、あまりにも痛々しいか細さ・・・。
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ここから朋也の渚との思い出がフラッシュバックしていく。
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やがて、
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それは二人の出会いのシーンまで遡り、
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いつもなら「つづく」となるラストのタイトルが、
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本シリーズのタイトル『CLANNAD ~After Story~』ではなく、ただの「CLANNAD」となってしまって終わる・・・。
 
この後の(いつもの)明るいエンディングのKY(空気読めない)っぷりが凄い、という他の鑑賞者の感想文をウエブでみかけたが、まさにそんな感じ。
 
私はここまでの本編で号泣していたので、今回の(いつもの)エンディングには吃驚しました。

この回だけ、「本編」の深刻さを受けて、新たに作り起こすのがスケジュール的にムリでも、せめて、第一期の『だんご大家族エンディング・アニメ』にでも差し替えるべきでした。
 
・・・出産直後から、わずかな時間で逝ってしまうまでの渚の「表情」は、絵を描くものとして相当な覚悟がなくては描写しきれないシーンです。
 
それが・・・、本当に、やりきれないほどの描写力を見せつけられて・・・。
 
    
「アニメ恐るべし」です。 
 
さて、先ほどにも語った、この「アニメ恐るべし」というフレーズ。
 
「アニメ恐るべし」とは、「火垂るの墓」がジブリ作品で高畑勲監督によってアニメ化された時に、原作者の野坂昭如氏に言わしめた有名なセリフです。
 
実写映画なら、どんなに天才的な名子役を選んでも、現在の子供に戦時下の子供達の、あのやつれた表情や精神の痛みを映像として再現させることは不可能に近いはずだと野坂氏は感じていました。
ところが、「絵」は、魂を込めた「絵」では、生身の人間では演じきれなかったであろう表情や佇まいを表現することが出来たのです。
 
「火垂るの墓」は、私は原作を読んでいますが、あの独特なリズムの文体を、アニメ映画では時に恐ろしいほどのリアリティで、子供の肌の(切れば血の出るような)やわらかさや、あるいはカサカサにやせ細った骨の軽さまで感じ取らせられるような描写をやってのけていました。
 
あまりにも残酷なシーンの鑑賞者への静かな語りかけ。

「火垂るの墓」は、そんな本編の後半の描写以前に、私は冒頭のシーンで、もう泣いていました。
清太(せいた)の「ぼくは死んだ」というシーンから、ドロップ缶に入っていた妹、節子の(兄、清太自らが荼毘にふした)小さな骨がこぼれ墜ちて、そこに蛍が舞い、節子の魂がもんぺと防空ずきんを被ったままの姿で現れるシーンから、私はいきなり涙が溢れて止まりませんでした。(そのシーンのBGMになる旋律の美しさがいっそう辛かったのです。) 
                                                              
私は感動系の作品は映画館では見られません。
だって恥ずかしいもの。私の涙は絵にならないでしょうから(笑)。
洒落にならないほど泣きます。
 
それが、テレビでもドキュメンタリー番組などで泣かされるときは、「憤り」「怒り」で泣いている時があります。
 
感動というエモーションだけではなく、どうしようもない感情に震えている自分に気が付いたとき。
それが「怒り」だと気が付くことがあります。

小さな子供の「死」や「病苦」を取材した番組などでは、私に宿るのは「怒り」です。

『なぜ?』という。
 
「クラナド」のような『物語』では、それを『なぜ?』の域から、癒され、許されて、感動出来るところに視聴者を誘う責任が作り手にはあるわけです。
 
私は、先の日記(ブログ)にちらりと書いたように、私の身内や親族に、「AIR」での"病"で亡くなる女の子のように、20歳くらいで亡くなってしまった彼女を記憶しているし、「クラナド」における渚のような、病苦の中でも命がけで妊娠、出産しようとする若い母親候補の女性を、今、知っています。

そんな経験から、『Kanon』、『AIR』、『CLANNAD』で、メインのシナリオライターである麻枝准(まえだ じゅん)氏も少なからず、実体験に、こうしたドラマを(繰り返して)書かざる得ないものをお持ちではないのかなとにらんでいます。
  
そんな辛い思いを、プラスのエネルギーにしていくチカラ。 
  
クラナドの今後の展開に期待しています。
                         
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