<   2015年 12月 ( 4 )   > この月の画像一覧

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン

Google Earth 「グーグル・アースの旅」とか♪


世間ではアレだ。
「クリスマス・イヴ」なんだ、今日は。
 
そして、私はただいま『冬の風邪っぴき』真っ最中で、咽喉(のど)の痛みと寒さにふるえております。
 
じ~っと、おとなしく自室で養生してるしかない

気をつけてたんだけどな~。
外出時は平生からマスクしてたし、帰宅したら、うがいに手洗いの励行してたのに。
 
それでも風邪の雑菌はもらっちゃうんだよねぇ。
いや、「ウィルス」か。

私は主に「咽喉からヤラレル」タイプでして。
これを自覚すると、ひととおりのコースを辿らないと治らない。
 
すでに風邪引きの兆候から発症して、咽喉の痛み、鼻水、クシャミ、やや発熱、そしてやがては「咳き込み」という流れになってて、う~ん、もう一週間ほどまだ引きずっていて"しんどい"・・・。
町医者(耳鼻咽喉科)に行って薬は処方してもらってるけどね。気休めか。
特効薬ってのはないから、こういうの。
現状、高熱でたり、関節痛とかないだけマシかな、まだ。(インフルエンザとかではない。)
 
「インフルエンザ」にはタミフル、というように明確な治療薬がない限りにおいては、「医者や薬剤師は風邪薬を飲まない」という通説があるよね。
風邪の諸症状は人間の体が治癒していく際に生じるもので、発熱が38℃以下の風邪引きとかは、まぁ、成り行きまかせでいいらしい。
ウィルスに効く薬はもともと(特殊なケースを別にして)ほとんど無いのだとか。
 
自然治癒を待つ。
 
でも、それが辛いんだよなぁ・・・。
  
 
神戸の町では今夜あたり、こういうイルミネーションの中、おしゃれな店にでも入って「友人・お仲間とおいしいものを食べたり」してるのだろうな。
もしくは、ご家庭で家族団らんで過ごされたりするのでしょう。

c0137122_15545596.jpg
"北野町の異人館街"あたりは、これくらいのイルミネーションは恒例なのかな。
c0137122_15550561.jpg

私は病気で、食欲もないんで(咽喉が痛くて食事もしにくい)、一人でもごちそう食べる気力があるなら、「たっぷりのチキン」でも食べたいところだけど、病人食で消化の良いものを細々と食べているだけです(汗)。
 
外出も出来ないので(すぐに息があがってしまうし、イヤな汗が出まくる。診察を受けに通院したときは「通院」自体が苦痛でストレスだった。)、目下、ひたすら自室でおとなしくネ。

ベッドに寝てばっかりでも"腰が痛くなる"ので、とりあえず起きても頭がフワフワ。
 
外気温はどんどん冬めいてきて寒かったりするし、わりと天気も悪かったこの数日間。
こちらの体調とは関係なく、皮肉なことに今日の日中なんかは天気が良かったなぁ・・・。
もう日が暮れるけど。
 
リアルでは出歩けないので、時々PCモニターでやっている「Google Earthの旅」とかしてみました。
 
「Google Earth」の"ストリートビュー"って機能はすごいね。
 
フォローされてない地域も多いのだけど、やっぱりこれでつい見てしまうのが「自分が所縁のあった、かつての町並み」とかの様子。
・・・まったく要領を得ない外国の街中を見るより、やはり少しは知っている景色を見る方が面白い。
 
今回、覗いてみたのが、小学校時代に住んでいた界隈(同じ神戸市内をあちこち引越しをしている)。
 
まずは、「阪神~御影(みかげ)駅」の現在。(Google Earthのストリートビューの更新は、マメな所はマメにやってて、割と1年ほどのタイムラグもなかったりする。・・・もっとも、2~3年前の景色のままというビューも多いみたいだけど。)
c0137122_15551285.jpg
南方向に向いて「阪神御影駅」の駅舎を眺めている位置から、左に視界を移動させると・・・。
c0137122_15551780.jpg
中サイズの雑居ビルが。私たち家族は当時、このあたりによく買い物に来ていた。(住んでいたのは東灘区の上の方。)
c0137122_15552263.jpg
その雑居ビルの1階が、あぁ、懐かしい「田中屋」さん。いわゆるご近所のスーパーマーケットである。・・・「阪神淡路大震災」もあったろうに、まだここで営業してたんだ・・・。
c0137122_15553095.jpg
懐かしすぎる、この屋号と看板・・・。ここに母親に連れられて通っていたのは、私が小学生低学年の頃だったよ。(「ジャンカラ」って言うカラオケ屋さんはもちろん私は知らないが。「田中屋」がまた健在なのがビックリだった。)
 
・・・いや、震災当時、てか、震災直後のこの灘区あたりの惨状は惨憺たるもので、かつて住んでいた町並みが瓦礫化していたのを、神戸から一時的に、大阪の親戚ん家に非難する特別便のバスの中から見たものだ。
ライフライン(電気、水道、ガス)の復活まで、神戸は2ヶ月間、機能していなかった。
電気の復旧は早かったから、それだけで1ヶ月は神戸で頑張ってたのよ。でも、水道とガスが2ヶ月以上も復旧しないのはきつかった。2ヶ月目に約一月間だけ親戚ん家にお世話になった。3ヶ月めに水道が復旧したから、また神戸に戻ったけどね。ガスはまだ戻ってから、さらに一ヶ月は復旧しなかった。
 
高速道路の高架が倒壊するくらいだったから、阪神沿線は全滅のような気がしていたけど・・・。
(北の方の阪急電車沿線の被害もそれなりだったろうが、南側よりマシだったかと思う。「山」だからね。神戸はホントに南北に狭く、山と海とに挟まれている土地だ。)
その「山」をひとつ、ふたつと越えた北側の地域は無事だったらしい。普通に断水も起こらなかったようだし。 
 

Google Earth"ストリートビュー"のつづき。 阪神御影駅から北に移動して、国道2号線を西に移動する。
c0137122_15553952.jpg
ほどなく「三宮(さんのみや)」に到着。「JR」も「阪急電鉄」、「阪神電鉄」もここではほぼ同じ場所にある。
c0137122_15554464.jpg
「JR」も「阪急電鉄」、「阪神電鉄」もここではほぼ同じ場所にある。神戸市庁舎もここにある。↓右下に見えてるのが「神戸市役所」。ひとつ前の画像と同じ位置から、そのまま南側を向くとこの光景になる。
c0137122_15555322.jpg
震災ではこのあたりのビル群も被害甚大であったが。↓の写真の、ちょっと見には小さく見えるアーケードが、商店街のメインストリートだった。
c0137122_15560072.jpg
Google Earthの「ストリートビュー取材陣」が撮影したときは、商店街の開店前か、早朝か?。閑散としているな。
c0137122_15560693.jpg
「トアロード」を北側に眺めた場所までGoogle Earthを移動。
c0137122_15561123.jpg
どんどんさらに北に行くと、「北野町異人館街」にたどり着くことになる。「風見鶏の館」ですね。
c0137122_15561921.jpg
 
「Google Earth」のストリートビューは「よく、こんな所まで細かく撮影したなぁ」という所や、「なんでここが入れないのだ?、情報がないのだ?」と、悔しい思いをする感覚とがゴチャ混ぜになっていてユニークだ。
 
アメリカのブロードウエイやハリウッドをストリートビューで見ても、行ったこともない場所だから、なんか感概もない。
(ストリートビューに写るアメリカの乗用車が、なんか外国っぽさより、妙に日本車っぽい感じの車が多いし。)
 
あ・・・、しかし、こうしてモニター見ていてもしんどくなってきた。

キーボード打つのもストレスみたいだ、今の体調は。
 
なにもせずに、もっとおとなしくしていよう。


今回の「Google Earthの旅」じまいに、神戸市民には馴染みのところも覗いてみたが・・・。
c0137122_17555329.jpg
「Google Earth」のストリートビューは必ずしも、期待通りのアングルからは対象物が見られない。神戸市長田区のモニュメント「鉄人28号」。
・・・遠景すぎてよく分からない。しかも後姿しか・・・。

よりにもよって、画面手前に写されてしまった男性も、「朝の"燃えるごみ"出し」の移動中を"国際的なアプリ"に撮影されたりして・・・。
 
ともあれ、皆様も冬の風邪ひきにはご注意ください。
 
 
 

[PR]

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン by PINKNUT_INC | 2015-12-24 18:03 | ブログ | Comments(8)

「フィギュア」とか「ガレージキット」の黎明期


懐かしい写真が出てきたシリーズ。
(※最近の撮影ではないシリーズです。)
 
これ、今、持っていないわ。
 
写真撮影だけして、いつ、どうやって失くしたか、はたまた処分したか、経緯さえよく覚えてないアイテム。
ただ、ひたすらに懐かしい。
 
まぁ「黎明期」と言っても、下の画像の「B‐CLUB」とかというブランドを見る限りにおいては、すでにそれなりの起動にのりはじめた以降のアイテムになるわけだ。
バンダイさんが乗り出していたワケですから。
(ホントの黎明期のガレージキットは、文字通り個人ディーラーの製作物で、「会社名ブランド」なんて付くハズもないものが最初期のものだから。)

アイテムがしかも「クリィミーマミ」と来たもんだ。
c0137122_02463705.jpg
「B‐CLUB」さんのキットは、まだまだバリや気泡の多かった当時のガレージキットの中では、真空脱泡機をいちはやく駆使してたか、とてもパーツの精度が綺麗だった。
c0137122_02464327.jpg
このクリィミーマミさんは、デッサン的にもスタイルが良くて、アニメの中のイメージより、リアルな人間寄りの"モデル体形"に近いプロポーションだったのを覚えています。
c0137122_02472489.jpg
そして↓下の画像は、さらに懐かしい、これぞガレージキット。メーカーがわかんない。イベントで当日販売されていたような趣きのビニール袋とじの一品。「めぞ一刻」の"音無響子さん"だ。キット時代的には1980年台だったか。
c0137122_02473052.jpg
そのエアロビ・タイプの衣装。当時としては、これくらいの「エロス」さがすでに冒険だった。サイズは1/12スケールくらいだったろうか。造形としても今の目で見ると「もっさり感」があるのだけど、この当時は、こんな造形でさえ十分に魅惑的だったのでした。
c0137122_02473789.jpg
このヒップラインとかが、昔なりに造形師さんの「熱意」、「意気込み」を感じるところ。こういう拘りが、連綿といまどきの「萌えフィギュア」のエロスにも受け継がれている。ような気がする。
c0137122_02474438.jpg
同じディーラーさんのシリーズではなかったかと記憶しているが、下の↓「八神いぶき」ちゃんになると、やや造形が藤子f不二雄先生のキャラっぽくなる。
c0137122_02475278.jpg
「バキュームフォーム」なんて言葉、造形的製法を今の人は知っているかな(笑)。工作的には今だってあるやり方だけど、PVCなんて素材が今みたいにあるずっと以前、そのPVCを薄く薄く「布地のようなものを成型するのにも使えるようになった現在」と違って、昔は「女の子のスカートはレジンじゃ無理じゃネ?」てことで、ハンドメイド的な圧着プレス方法でバキュームフォーム・スカートなんてのがパーツに組み込まれた。・・・これ、製作する側からすると、こんな素材から「衣服」に仕上げるのなんて難易度が高すぎるのであった(笑)。
c0137122_02475994.jpg
この「お顔」の造形とか、なんか留美子先生キャラというより、藤子先生の「エスパー魔美」っぽい感じがする・・・。そして、いまどきのエロチックな方向の萌えフィギュアと比べたら、なんと健全で幼い「下半身描写」だろうか。「スカートに中身も作りたい」という情熱に反して、当時はまだ"ここ止まり"だったのである。
c0137122_02480910.jpg
それでも、「あの漫画の、あのアニメのキャラクターの造形物」が、こんな風に個人ディーラー・ペース、あるいは地方のメーカーからハンドメイドで作られること自体が画期的だったのである。


それにしても上の一例から見ても、「フィギュア」っていうガレージキットの美少女ものの最初も、なんか"高橋留美子先生キャラ"から胎動、始動していた感じがある。
 
もっとも、アニメの美少女ブームは一気に拡散して、その拡散した方からの展開振りの方が、どんどん先鋭化していったけれど。
 
そもそもなんと言うか、バンダイさんという大手メーカーから、なんか全ては始まったんじゃなかろうか?。
(この辺、自信がありません。ガレージキットなどが「怪獣」や「AFV」ものに、「美少女もの」、「漫画、アニメ、ゲームキャラの立体化」というジャンルが確固たる根付きを果たしたのは、バンダイさんやツクダホビーさんの「ジャンボ・フィギュア」とかから始まったような気がします。)
 
そのひとつ。タイトルは「ハイスクール・ラムちゃん」だったか?(バンダイ製)。具体的な中身の写真が手元に無くてアレだが、当時買いましたよ。作りましたよ。
c0137122_07120920.jpg

1980年代の前半ですよ。たしか。1/12スケールだったけど、人形そのものは、モナカの合わせ組み立てではなく無垢のプラスチックの塊りでした。そしてスカートがインジェクションキットパーツで薄布風味(もっさり分厚い成型だったけど)。なによりこのキットの功罪の大きさは、スカートの中身を造形していたことでした(笑)。

もっと厳密に言えば1982年だったようです。このシリーズの第一弾と第二弾がまず発売され(「きらめきラムちゃん」と「いとしのラムちゃん」だったかな。~そのあとに第三弾、第四弾、「ハイスクールラムちゃん」、「ときめきラムちゃん」の全4シリーズが販売された。1個500円。まだ消費税法が施行されていなかった時代。)
c0137122_07122824.jpg
なんか上の感じで発売されたパッケージが、途中の再販分から「アニメのセル画」イメージにデザイン修正されて販売され続けた。今ではアンティーク。
c0137122_07123945.jpg

最初の方のレジンキット画像のフィギュアの方が、このバンダイさんやツクダホビーさんより後だものね。
(それにしても、あのツクダホビーのジャンボフィギュア・シリーズの材質は、後のソフトレジンキットからすれば、とんでもない性質のものだったなぁ。なんだったんだろう、あれは。削れない、ヤスリがけ出来ない、接着しにくい・・・、凄い材質だった。)
 
さて、

これが一昨年だったか、原作者の高橋留美子先生の画業35周年を記念して、「ラムちゃん」の新しいフィギュアがいまどきのクリエイターの手で作られ、確か昨年の2014年に発売されたのが、下のPVC製完成品フィギュアである。

コトブキヤさんから発売された。
c0137122_07125733.jpg
すごいね。可愛いね。
c0137122_07130396.jpg
でも、「いまどき」の萌え系アニメキャラ的すぎて、違和感のあるファンもあるそうだ。
「これじゃない感?」。
私は、「これはこれでいいんじゃない?。かわいいもん。」と思いますが(笑)。
(原作者の先生ご自身が、どんどん絵柄も変化していったし。アニメ版に寄せてきたり、また離れたりと変遷してますしね。)
c0137122_07131049.jpg
 
色々な見方はあるだろうけど、まぁ、「文化」のひとつです。
確実に、とある一時代を牽引して築いてきた感はあるキャラクターであるし、世界観でしたものね。
 
フィギュア的には、その少し前に登場していた、こっちのキャラ作りがツボだったりもしますね。↓

c0137122_07585015.jpg

  
そんなこんなを思いながら、VHSテープのビデオデッキだった当時、リアルタイムでの「うる星やつら」のTV放送は全話、撮り漏らすことなく録画したっけ。
「全195話」だったよね。
録画というものに対する、このエネルギーが今はないわ、私・・・。
あの頃は予約録画もミスったことない。(たまたま落雷や停電のアクシデントにもめぐり合わなかったし。)

c0137122_07133544.jpg

なんかつい最近、また見返したくなってモニターしたりしていますが・・・。
 
第107話 「恐怖 トロロが攻めてくる」
うむ、アメージングだ。
c0137122_07134235.jpg
 
絵柄や、動画的にも「時代」を感じさせるけど、この作品から受け継がれている「何か」も着実にある。
(余談だが、私の郷里の友人に「うる星やつら」的笑いやドタバタに、"センス・オブ・ワンダー"なところまで含めても、まったく受け付けない人もいた。こればっかりは好みの問題だから仕方ない。)

このTVシリーズの全話が収録されたレーザーディスク・セット「BOX」で2セット(?うろ覚え)、値段が30万円以上していたが(私は、とても買えなかった。チラリと欲しいなとは思ったりしたかな)、その昔の当時にすぐに完売したらしい。ファンの購買欲は凄いものだ。
いまや「レーザーディスク」というメディア自体が消えてしまったジャンルなのにね・・・。

最近は「DVD BOX」や「Blu-ray BOX」で販売されているんだっけか?。
ちらりと市場を見てみたが、レーザーディスクのあの時代よりはリーズナブルになっていると思う。
 
で、近年のアニメ事情だが、私は「とても面白い」と思っているし、アニメーターのスキルも凄いもんだと思う。
出来の良いものになると、演出、カメラワークとか凝ったものだ。
デジタル時代のエフェクトとか、フィルターのかぶせ方も「あきれる」くらいのものもある。
銃撃シーンなんかで、あの「ブラックホーク・ダウン」の戦場シーンでやってた、射撃で画面がブレるエフェクトとか、まあ射撃シーンに限らず「ここぞというシーンでは」巧く取り入れてるものな。(その他にも「カメラワーク」とか「手持ち撮影感覚」とかの映画的手法において、演出の抜きん出た作品では、かつてのテレビアニメの技術的な限界からは考えられないほど進化している。)
当然、玉石混合だが、楽しいものが多い。
 
ただ、昔みたいに少ない大看板があって、情報的にも拾いやすかった時代と比べて、その情報が繁多すぎて追いきれない。
 
私が、地上波放送の分だけでも「エネルギーが今はないわ」とこぼしてしまう由縁である。
 
ビデオデッキもHDDでデジタル録画になって、番組欄もテレビやビデオチューナーで表示してくれる。
「予約」さえキッチリしておけば、もうそのタイトルを毎週自動的に録画し続けてくれるのである。(放送局の都合で時間がズレても、デッキのプログラムがそれに対応して撮り漏らさない。)
便利なハズだ。

が、いかんせん、その最初の第一話が新番組として始まる情報を得るのに不得手になってしまった。
 
1.そもそも、番組欄で「新」の字を見つけても、タイトルだけだと何が始まるのか、面白いかどうかも分からん。
2.なら、とりあえず全部録画して、モニターしてみて面白くなければ切ればいい・・・。という作業がすでにめんどくさい。
3.だいたい、アニメの放送は深夜が多くて、1クール(12~13話)枠が普通となった今、同じ時間帯に番組が他局でかぶりすぎる。
4.「3チューナー内蔵デッキ」でも間に合わないくらい何台もデッキが必要になる。
5.あれもこれも撮っていたらHDDがすぐに満杯だ。
6.デジタル放送のダビング拘束がある。
7.抱き合わせ放送枠があって、要るもの要らないものがHDDの容量を喰う。
8.その取拾選択の管理をうっかり忘れたり、さぼったりすると、もう便利機能もすべてご破算。「撮り漏らし」「録画できませんでした」のメッセージ。
 
なんか便利さと、窮屈さがごっちゃで、今秋季のアニメ番組とか、先日(ちゃんと管理していたつもりで、でも整理を忘れていて危なかった日もあったなぁ、間に合ったハズだよね?、とか思いつつ)見直してみたら、ものの見事にヘタを打っていた「週」があって(何かで忙殺されて凹んでいた週だったんだろう・・・)、12~13種類以上録画していた全ての番組の、とある1話分だけが見事に全部欠番になっていた。
 
便利すぎると、その完璧さゆえの反動で「ケアレスミスな失敗」がなんかとんでもなく許せなくなってくる(笑)。
 
いや、面白い番組なら、その欠けた1話分だけあきらめて、残りの話数を見なさいよ。
欠番話数はいずれ補完できるチャンスを待って・・・、という寛容さやフレキシブルな発想がどこかに飛んでしまうのである。
 
私は、関西流に言うイラチ(苛立つの方言)気質なところがあり、時々、これでお膳をひっくり返す(笑)。

全国的に言うと「癇癪を起こす」と言った方が分かりやすいか。
(でも、とてものんびり屋で、とめどなくルーズだったりもするのだけどね。われながら分裂してるわ。)
 
ともあれ、自分の管理ミスを棚にあげて「怒りに任せて(もしくはとても失望して)全番組消去」してしまいました。
・・・とさ。
 
困ったものである。
新作の「ルパン三世」面白そうだったが、全話録画し終えてからいっきに見ようとか思っていたのが、何も見ずに消してしまった。
これで台無しだよ。
 
「ガールズ&パンツァー」も映画化に合わせて再放送していたのに気づいてなかった。
名作は何度録画してもいいのです。どこか微妙にバージョン変えているかもしれないし。でも、なんかね。これも欠話があったから消したな。イラチだなぁ(笑)。
 
録画機もなかった時代は、放送時にテレビの前に待機した。
録画デッキが鎮座してからも、本放送時に合わせてテレビを見ながら録画もしていたなぁ。
今見たばかりの番組を、「ちゃんと録画できたかな?」ともう一回、モニターしなおしたりとか。
 
熱心でもあったし、のどかなものでした。
 
まぁ、あれだ。
 
情報通じゃなくなってしまったし(マニア的なアンテナ立ててないし)、番組管理もマメではなくなったし。
テレビ欄なんて見たくも無い日の方がむしろ多い昨今だ。
それはそれで「確実に、まぁ自分が見たいだろうな。」と分かる範囲の新番組だけ2~3本しっかり撮っていくことにしよう。
次の新春からはそうしよう(笑)。
(毎夜3本くらい?、週20本もチェックしようとするからヘマするのだ。)

便利すぎることに頼るのは罪ですね。
「1クールだから全話撮って、あとでいっきに見たい」という今の姿勢のせいで、あとから「なんだこれ?、こんなのに数時間も容量喰われていたのか」と思っちゃう番組もけっこうあったりする。連続番組のためにあきらめた単発ものの「あの映画」とか「この映画」とかあったのに、とか思ってしまう。
外付けHDDだってむやみに増やせないしね。
かと言ってブルーレイとかDVDメディアに逃がしてHDDを軽くする作業も、昔のVHSテープに比べたら簡単なハズなのに、それがめんどくさいということは「見る資格なし」ですな(笑)。
 
なのに、「良い作品」を見たら「泣くほど感動する」自分も居るし、でつくづく難儀です。

確かに、一部「卒業しちゃった」ジャンルや「作品」ってのもあったりするけれど。

何かを卒業しても、基本的に次の何かは見つかるし。
見つけてしまう。
クリエイティブなものは、やはり「好き」なんですよね。
 
このイラチがおさまったら(笑)また、懲りずに、良い作品、良いものと出会えることを期待はしましょう。
 
 
 

[PR]

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン by PINKNUT_INC | 2015-12-14 10:29 | フィギュア | Comments(4)

いわゆる日曜大工♪・・・的な?(笑)

 
本当に寒くなったなぁ。
 
今日なんか寒風も吹いて、外出時に震え上がっていた。
もっと厚着して出かけないとダメだ。
  
さて、

最近、引っ越したことは以前にチラリと触れましたが。
(同じ神戸市内なので、距離的にはどうということはない移動でした。) 
 
でも、業者以外誰も手伝いのない"一人っきり"のお引越しだったので、二度とはやりたくないほど大変でした。

(物としてもう古すぎてガタガタな家具とか)以前の住居で廃棄してきたものも多かった。
 
そのひとつが「水屋」(水屋箪笥)。
この言い方は古すぎるし、地方的すぎるのかな?。全国的にも通じるのだろうか?。
ざっくり言って"キッチン収納家具"のことです。
 
越した先にもそれなりのキッチンシンク収納や戸棚はあるものの、それは鍋と釜とフライパンでうまってしまう。
"食器類"とか、ここはやはり「家具」としての収納も必要。
 
今後は「自分用と、まぁ、来客があった場合のコンパクトな収納でいい。」と、
比較的、安価な『組み立て式のキット家具』を買った。
安価なりに少しは"家具らしい"感じのものを選んだ。
 
届いた梱包を荷解きしたパーツ状態。合板は結構しっかりれしている。せともの食器を置くのだから強度は要る。 
c0137122_07402697.jpg
いまどきの「組み立て家具」の「組み金具」の定番らしいパーツ。とても合理的に、頑丈に出来ている。
c0137122_07403209.jpg
モザイクタイル調のガラス戸スタイルのものをチョイスした。それと家具は「木目調」が好き。
c0137122_07403921.jpg
こうして観音開きの扉を組み込む。昔の板式蝶番(ちょうつがい)金具より堅牢で、位置調節もし易い。 
c0137122_07404611.jpg
独身暮らし用のコンパクトなものだが、組んでいるとだんだん全体は重くなってくる。寝かしたり起こしたりしながらの組み立ても後半はきつかった。
c0137122_07405396.jpg
水屋箪笥の4~5人家族用のでかいものになると、高さ1800cm×150cm×45cmくらいのサイズが本来は普通なので、そんなのは二人かがりでないと組めない。
今回選んだ組み立て家具でも、そこそこ難儀してるのでコンパクトサイズにして良かった・・・。

c0137122_07410000.jpg
まずはひとつ出来上がり♪
c0137122_07410990.jpg

写真では横にまだ「引越し荷物」が積んであるのが見える。~今回の引越しは、引越し直後には、ベッドと事務机と洋服ダンスの設置くらいまでがやっとで(あと家電品は冷蔵庫とかはすぐに設置)、それ以外の雑多なもの、すべての荷解きまでには何ヶ月もかかってしまった。

この水屋つくりも、じつは引越し後かなり時間が経ってからようやく着手した。
それまでは必要最小限の食器数個だけ出していて、食事と言えば、店屋ものかレトルト食品だけで済ませていた。
 
c0137122_07411976.jpg
とりあえず並べた食器はこんなもの。こういう生活雑貨を画像でお見せするのはなんとも恥ずかしい感じなのはなぜだろう。
私は下戸なんで酒に関する食器はない。・・・と思ってたら、あるじゃないか、徳利にお猪口・・・。うん。なんだか親の使っていたものもそれぞれに少しは持ってきてたみたいだ。感傷かねぇ。しかし、一人で「鍋物」する気もないのででかい土鍋とかも今はない。(鍋を囲むような客も来ないしね。)
c0137122_07413186.jpg
そして、二つ目のキッチン家具組み立てに引き続き突入。"シリーズ家具"の2点を用意したのだ。
c0137122_07413990.jpg
背の低い家具は、電子レンジ、炊飯器、電気ポットなどの据え置き、他、キッチン小物用に使う。
c0137122_07414957.jpg
ふたつの組み立て家具に、たっぷり数時間かがりで(食器も整理しつつの、4~5時間はかかった。)、ようやく1セット"キッチン収納"が完成。
c0137122_07420285.jpg
このあと、キッチン関連の家電品などを左側の家具に設置して、ひととおり、台所まわりの片づけが出来るわけである。
c0137122_07421753.jpg

組み立て完成までに時間がかかった。
 
「ふたつでも2~3時間もあれば余裕」とか思っていたが、休憩を入れつつけっこうな作業時間となった。
しかもこれ夏場に作ったので、屋内でエアコン入っているのに汗だくになって作っていた。
 
なめてたなぁ。
 
キット家具も、材料がしっかりしたものだと「板のひとつひとつが重いし」、ぺらぺらのカラーボックス組み立てるよりはずいぶんな重労働だった。
そもそも、こういうキット家具が天然木であるハズがなく、安い"合板"なので、かえって接着剤で固めたような合板は"重い"のだ。
 
それでも、木工用ボンドを要所に使いつつも、タボに金具にビス止め、ドライバーで組みあがる。あ、金槌も必要だった。(あて木をしながらね。)
焦らずに地道に作っていけば、誰でも完成できる秀逸アイテムではある。
どうこう言っても簡素な作りだが、私は「(値段を知らなきゃ)品が良いかな」とは思っている。
「釘うち」とかノコギリなんてのは必要ないので、たいそう合理的には構成されている「組み立て家具」だった。
 
少し前までの私なら、家庭のこんなアイテムのこと関心もなければ、作るハメになるとも思っていなかった。
台所まわりのことは基本、無関心だったのよ。
 
なんにしても、今の私の身辺は、学生生活にほんのちょっと毛が生えた程度のもののような気がする。
 
それでも、この家具の"スッキリ感"は、これはこれで「うん、こんなものだ。」と癒されています(笑)。
 
そういや、もう12月なのか。
今年も終わっちゃいますね。

クリスマスや年末年始の喧騒とは、私は昨今無関係だなぁ。  
 
光熱費ばかりが嵩(かさ)む、お寒い季節です。 

   


[PR]

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン by PINKNUT_INC | 2015-12-05 00:07 | ブログ | Comments(13)

水木しげる先生の訃報・・・。

 
2015年11月30日に、水木しげる先生がお亡くなりになっていたことを、私は今朝になって知った。
 
93歳。このご高齢にして、現役のままでの他界である。
訃報はショックだったが、生涯現役であり続けた、精力的なクリエイター魂は素晴らしかったというほかない・・・。
 
c0137122_12262537.jpg
 
 
昔、東京の某出版社の忘年会パーティーで、私は末席で参加させていただいたことがあるけれど、その際、自分の肉眼でそのお姿を拝謁できた"漫画界の神様"のおひとりである。
 
もちろん、私は『わぁぁ、水木しげる先生だよ・・・。』
と感激しながら、お姿を眺めていただけで(2~3メートルの近距離まで接近させていただいて、ご尊顔と名札の確認を(ひそかに)させていただいたりはした。~(お声をかけさせていただく度胸なんて、とてもとても・・・)基本、一部にテーブルと座席もあったが、皆さんが自由に動き回る立食形式のパーティーだったから、それとなくお傍を通り抜けることくらいは出来たのである。)
 
ただひたすら、レジェンドたる神様と同じ空間にいることを堪能していただけであった。それだけでも感無量だった。
(上記の同じパーティーには、水木しげる先生のほかにも、石ノ森 章太郎先生、ちばてつや先生、さいとうたかお先生、藤子不二雄A先生、といった神々のお姿も拝謁させていただいた。)
 
水木しげる先生のポジションは、それこそ独特であろう。
 
神々のお歴々はみなさんがすべて、オンリーワンの頂点にいらした方ばかりだが、水木しげる先生の筆致たるや唯一無二であって、派生が生まれる余地もない。
・・・だが、しかし、その影響力たるやなんというか、「妖怪」と言えばこの方が原典であり、教科書なのだ。
(もちろん、オリジナリティということだけでなく、過去の資料や伝承、絵師や作家の仕事を独特なフィルターでまとめあげたという感触がある。)
 
その「フィルター」の筆致が"点描画"であったり、簡潔な線のキャラ絵であったり、独特な"妖怪像"であったりと凄まじい。
 
そのまんまの派生が生まれて引き継がれる可能性が薄くても、「影響をうけた作家」が、水木しげる先生を原典にして、なんらかの作品的な再生産をし続けるであろうことは想像に難くない。
 
凄いのは、先生の生きた時代の重要な年次が「戦時下」ということもあり、とんでもないご苦労と経験をされている。
南方の兵役で片腕を失っておられるし、また、ご結婚後の人生の波乱万丈さもこれは、ドラマや作品になっている。
ご自身の日常を活写する晩年の私小説的漫画もまた独特の味わいである。
 
とりわけ水木先生の「戦記物」は、当時の戦地に派兵されたリアル体験をベースにした作品なので、一兵卒の立場からの「戦争の地獄」に関しての語り口は、淡々としていながら空恐ろしい。
ああいうのは戦争に行ったものにしか分からないし語れない。
 
このブログの前後に「戦争ごっこ」の視点から「武器のあれこれに関する興味」を語っている私の能天気な記事に、先生の記事をはさんでしまっているのが申し訳ないくらいだ。
(ところが、戦後の水木先生は、ご結婚後、かなりの貧しい暮らしぶりの中でも、生活の戦いと趣味的な愉しみとは混在していて、なんでもエピソードのひとつに、夫婦で「連合艦隊の再現」を目指して「軍艦の模型作り」を楽しんだりもしていたそうである。このおおらかさはなんだろうか。先生の執筆のアシスタントもしていたという器用な奥様。後に『ゲゲゲの女房』を執筆された奥様が、なんともまた凄い・・・。)
 
先生のペンネームの由来が、紙芝居作家時代のちょい前から、神戸に「水木荘」というところを経営してた事から、ということらしいが、これは神戸民としてはゆかりを感じることである。
(先生は父親の仕事の関係で大阪の住吉区出生だったが、本来の郷里は鳥取県境港市入船町ということで、母子はそこに帰って過ごしたことから出身地は鳥取ということになり、その後また大阪で働き、兵役があり、復員してから武蔵野美術学校時代というのがあり(結果的には中退)、なぜだか問屋仕事に関わり東北まで買い付けにいった経緯もありーの、商売行脚からのひょんな西への流れで神戸にたどり着いて、その神戸で不動産を入手、アパート経営をしてみたり、紙芝居時代があったり、そこから漫画家になったりしていくのだが、・・・wiki見ながら書いていてもわけがわからないほど、人生九十九折でいらっしゃる。)
 
貸本屋作家から、商業誌漫画家となって、やがて作品がアニメ化されたり、ドラマ化されたりして名実ともに成功されたのは、だから40歳代になってから、ということらしいが。
 
そこから、他界される間際まで「現役」でいらしたことは超人的だ。
 
「ゲゲゲの鬼太郎」や、"ビビビのねずみ男"とか"めだまの親父"なんてのは、それこそ先生の編纂された日本の妖怪たちとともに、永く生き続けるキャラクターだろう。
 
謹んでご冥福をお祈りします。 
 
 


[PR]

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン by PINKNUT_INC | 2015-12-01 13:52 | ブログ | Comments(0)