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SFロボット「フライデー」と「ロビー」の魅力♪


『宇宙家族ロビンソン』(うちゅうかぞくロビンソン、原題:Lost in Space)というアメリカのTVドラマシリーズがあった。
 
子供たちやファミリー向けの内容で、製作は1965年~1968年。本国では第3シーズンまで作られた。
日本では、1966年~1968年に、第1と第2シーズンまでが放送された。

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宇宙人的なゲストキャラが出てくる以外は、基本パーソンキャラは下の写真で全員である。↓

1作目はモノクロで、カラー映像化されたのは2作目からであった。
日本で言えば「ウルトラQ」がモノクロ。「ウルトラマン」からがカラー化(両作品ともに1966年放送)という時代と、そのままかぶる。
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次女役の女の子が可愛いね。性格的にはどんなだったかな。もはやうろ覚え。
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もっとも、このメンバーの中では、Dr.スミス(集合写真で一人だけ服装の違う年長者)の日本語声優役の熊倉一雄さんの声が、ドンピシャリだった。

で、視聴する男子たちに人気だったのが、ファミリーをサポートするロボットの「フライデー」だ。

この呼称は日本だけのみの扱いで、本国アメリカのシナリオでは「ロボットB-9」という型番でしか呼称されなかった。
 
これは、日本では、すでに漫画やアニメで「鉄腕アトム」や「鉄人28号」という、人気キャラクターがあったからこそで、「B-9」にも、固有名称が自然と与えられた。(当時、視聴者に公募して「フライデー」と名付けられたとか。小説「ロビンソン・クルーソー」に出てくる従僕キャラの名前である。)
 
人気キャラだったので、当時もプラモデルが国内で作られたが、海外版のメーカーでも繰り返し商品化されている。

1/6 宇宙家族ロビンソン B-9 フライデー (ビッグサイズモデル) プラスチックモデルキット。近年の物。
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1/6スケールホビーにして、この造形クォリティである。「MOEBIUS MODELS(メビウスモデル)」

メーカー希望小売価格 ¥10,584


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そして、

1/1スケール発想の好きなアメリカホビー界では、こんなものも(2011年の記事)作られた。↓
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価格は1台、2万4500ドル(・・・日本なら乗用車が買える値段じゃん)。手作りのため、生産は年間12台程度だったとか。
光ったり、ドラマで「B-9」の声を当てていたリチャード・タフェルドによる500以上のボイストラックがあり、アンテナを動かし体を左右に振るとか、腕が伸びるとか、色々な仕掛けもあるらしい。
だけども、日本の一般家庭内では置けない大きさのホビーである(笑)。
 
そもそも現実にフライデーみたいなデザインのマシンは、屋内でも段差があると移動は難しいし、あの「輪っか型」でものを挟むだけの手の形では融通が利かなすぎる。
言葉で対話のできるコンピューターだが、姿かたちはSFチックなロマンの中にあるだけのもの、と言う感じだね。
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結果的に何台作られ、どれほど売れたんだろうねぇ。

『宇宙家族ロビンソン』と言えば、宇宙空間や他の惑星における「家」とも「城」とも言える、「宇宙船ジュピター2号」。
とてもシンプルでオーソドックスな船体デザイン。
 
昔は日本の国内でもプラモデルキットが発売されたが、割と大きなサイズで、子供たちの誰もが親に買ってもらえるアイテムでもなかった。
当時の(子供の)日銭のお小遣いでは買えない価格だったと思う。
 
マルサン ジュピター 1967年製
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下の画像のは↓ 上で「ロボットB-9」も作った「メビウスモデル」の 「宇宙家族ロビンソン 1/35 ジュピター2 完成品」だ。マルサンのキット時代からはグッと重厚になっている。
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ダイキャスト製で円盤直径が50cmほどもある。
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なんか20万円近くもするらしい。・・・ファンには垂涎のアイテムだろうが、いや「高嶺の花」だ。
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宇宙家族ロビンソン 宇宙探検車チャリオット↓ これもドラマで活躍していた。合成ではなくて、人を載せるリアルセットのものが作られていたから。(走行シーンもリアルだったか、ミニチュアだったかまでは覚えていない。)
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下の画像は、1/24 スケール宇宙探検車チャリオット」メビウスモデル製。(プラッツってのもあったらしい。)
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キットだけど、リアルな仕上がりになり、同スケールの「ロボット B-9」も付属しているらしい。
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こうした、マシン関連の劇中モデルのデザインとホビー化。
ロボットのモデリングってのは、日本は欧米には敵わなかった気が個人的にはしている。
 
日本では、ウルトラマンや怪獣、戦隊もの、怪人とかにアイデンティティーもあり、エネルギーも費やされて発展したが、ロボット関連は「漫画、アニメ」で始まったイメージにとらわれて、「ロボットらしいロボット」ってのはデザインされなかった。
「キャプテンウルトラ」の「ハック」くらいのものである。個人的にはハックの「着ぐるみデザイン」はいまいちだった。(あの番組で、キケロのジョー役が小林稔侍さんだっというのが今では「へぇぇ」なのだが。)
漫画的な幼児番組のロボットなら日本でも豊富にいるんだけどね。あくまでも「漫画的」だから。
 
つまり、いかにもマシン然としたロボットタイプではなく、日本でなら、今、デアゴスティーニでリリースされている「ロビ」なんかの"可愛い"方向性のものがいい。
漫画やアニメ文化の独特さから言っても、「愛らしいもの」が似合っている。(ガンダムとかバトル系のものはさらに特殊だが、ああいうものは戦場絡みだからなぁ。「スターウォーズ」にガンダムみたいなのが出てきたらどうなっちゃうんだろうね?。)
 
それはそうと、「宇宙家族ロビンソン」に、レギュラーのフライデーだけでなく、映画「禁断の惑星」に登場していた、「ロビー・ザ・ロボット」が共演していたエピソード回があった。(映画「禁断の惑星」は、TVの吹き替え放送をずっ~と後年になってから見たとき、内容に衝撃を受けましたね。)
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これぞロボットの代名詞、「ロビー・ザ・ロボット」
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マシンを日本よりはクールに見る海外において、「ロビー」は特別だった。
現代劇の刑事もの「刑事コロンボ」にもどこぞの研究所が事件の舞台と言うことで、「ロビー」がゲスト出演していた。
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SF枠のキャラが、役者並みの注目度を浴びるのはたいした出来事である。
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ま、アメリカでは、スーパーマンやバットマン、スパイダーマンやその他のアクションヒーローにバトル系の怪人は、コミックでも映画でも人気なのだけど。

日本のヒーローや怪人、ロボットってのは独特の日本固有の立ち位置だからなぁ。
怪獣のゴジラだって、日本とそれ以外の国との理解は違うだろうし。
 
それでも、「ロビー」なんかは日本でも愛されているよね。

ロビー ザ ロボット X-PLUS

定価 9,240
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ロビー・ザ・ロボット アルテア4・トランスポーター
定価
16,590
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ホビーとはいえ、この入れ込みと造形力は魅力的だ。
 
・・・でも、これ、男子、男性の趣味なんだろうなぁ。
女性でこっち方面にハマる人なんて、まずいないのだろうね。
 
男性が、リアルやアニメの人形には思い入れしても、直球のリカちゃん人形、バービー人形にハマらないのと棲み分けはあるんだろうね。

「ロビー・ザ・ロボット」、小さくてお手頃なものなら、私も買ったことがある。↓
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増田屋のネジ巻き式歩行人形。安価だったし。
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11cmくらいの大きさだったかな?。(同じシリーズに「フライデー」もあったと思う。)
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こういうのはショーケースの中に飾るのも、机上にポンと置いておくのもいいんだよね。
 
そう、男子の「フィギュア」土壌は、こういうアイテムへの愛着と、日本のアニメシーンを土壌にして育てられていったんだよな。
 
いや、萌えフィギュアと、こういうホビーとは性格が違うという意見も、至極当然にあるだろう。
でもねぇ、私なんかは繋がっているように思えるな。
 
当初のチープなものから、いかに元モデルに似せて作るか。
より魅力的な完成度を求めるか、という研鑽は、作り手と受け取り手の間でたゆまない努力が重ねられてきたものだから。
 
ホビー万歳ですよ。


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インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン by PINKNUT_INC | 2017-06-25 11:25 | 映画 | Comments(0)

キャリー・フィッシャーの他界


ちょっと、リアクションが遅れたが、キャリー・フィッシャーの突然の他界の報道には驚いた。

キャリー・フィッシャー(60歳)、12月27日他界。写真は「スターウォーズ/帝国の逆襲」撮影当事。
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キャリー・フィッシャーの母はハリウッドの往年のムービースター、デビー・レイノルズだというのも有名。↓
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近年の母娘二人のスナップショット。・・・娘の急逝がショックだったか、その母、デビー・レイノルズさん(84歳)までが、後を追うように、12月28日に突然体調を崩してそのまま他界されてしまった。
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国内に目を転じても、各界で活躍された(特にエンタメやクリエイティブ関係の)著名人、有名人の他界報道があった。
・・・もっとも、言ってしまえば、毎年がそういうことなのだけど。
 
市井の名も無き人たちだって、生きて、やがて去っていく。
 
ニュースにされるか、されないかの違いはあるものの、皆にそれぞれのドラマはある。
 
年の瀬に、なんとも寂しい知らせでございました。

・・・キャリー・フィッシャーさん、「スターウォーズ/エピソード8」の出演も決まっていたし(キャリーの娘、ビリー・キャサリン・ラードも「7」で若かりし頃のレイア役で共演していたとか。その、ビリー・ラードは「8」にも出演するとか)、映画の脚本は、今後どうするのでしょうか。

え?、次作の「スターウォーズ」キャリー・フィッシャーの出演分の撮影はすでに完了している、との話題もあったりする。
てことは、映画の中のレイア姫役は次作までに限っては、そのままなのかな。
 
撮影スケジュールって、案外早く進むものなのですね。
 
 

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インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン by PINKNUT_INC | 2016-12-30 09:10 | 映画 | Comments(0)

映画『KNOCKIN' ON HEAVEN'S DOOR』を見て♪


映画『KNOCKIN' ON HEAVEN'S DOOR』
 
これは、1997年公開のドイツ映画である。
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ボブ・ディランの同名タイトル曲「
Knockin' on heaven's door」=ノッキン・オン・ヘヴンズ・ドアがあったよね。

じつは、あの名曲から着想を得たと言うか、オマージュにしたというような主旨のことを、監督自身が公言している。
 
さらに言うなら、ボブ・ディランの曲のことは私も知ってはいるが、このドイツ映画のことを、私は、つい先日まで知らなかった。
映画ファンなら知っているべき、見ておくべき「名作」なそうなのだが、知らなかったのよ。
 
とあるキッカケがあって、こちらの映画の存在を知り、見たくなってDVDを買って見た。
(どうやら、知る人ぞ知る名作なのに、日本国内においては旧版のDVDは絶版になり、吹き替えなし版でようやく復活したもののBD版が存在しない程度の、セールス的には不遇な扱いだったようだ。)
本国ドイツや海外ではカルト的な人気がある作品らしい。
 
もちろん日本でも、知ってる人は知っている名作であるから、なんか日本で2009年にリメイク・ムービーが作られたとか。
主役の男性ふたりを、男女にキャストを変えて作っちゃったとか。
そっちは私は見ていないので、コメントは差し控えます。
 
とにかく、原作の
映画『KNOCKIN' ON HEAVEN'S DOOR』は名作だった。
※映画用のオリジナル脚本だ。
 
ストーリーは、とある日の病気の検査で「末期癌」を告知された二人の男性が、たまたま病棟の同室になって知り合うというもの。
(赤の他人で、同じ日に同じ病院で検査、それぞれの担当医から告知を受けていた。)
 
唐突な間近な死の予告である。
 
日頃、健康に問題なく暮らしているつもりの人にでも、まぁ、誰にでも起こりうることだ。
 
劇中の彼らもまさしくそうだった。
 
ふたりの男性のキャラクターは正反対。
ステレオタイプ的な言い方をすれば、常識人の真面目人間「ルディ」と、
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「マーチン」は、ちょい悪(わる)風なキャラ。まぁ、ふたりとも死ぬには早すぎる若さ。
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そして、ドイツ映画という舞台が、「らしいシチュエーションのふたりにとっての最後の希望、目的」を設定する。
「一度、海が見たい。」という。
内陸にあるドイツには海が無いから、同様に内陸部に住む人って、彼らに限らず"海に縁の無いまま人生を過ごす"人は多いかもしれない。
 
何かの伝承や逸話が原典にあるエピソードなのかどうかは知らないが、ここで「死を間近に突きつけられた彼らが話題にした話」が「天国」のこと。
 
その「天国」では今、なにが流行っているか知っているか?、という奇妙な寓話。
 
「天国では、海の話をするんだ。」
 
でも、人生でこれまで一度も"海を見たことがない"と言うルディに対して、「まさか、冗談だろ?」と応じるマーチン。
シチュエーションの成り行きで、こんなことを「病棟内のキッチンでテキーラを飲みながら酔っ払って、語り合っていた二人」は、そのまま駐車場の他人の自動車(ベンツ)を盗んで、酔っ払った勢いのまま、病院を脱出してしまう。
 
この盗んだベンツが、マフィアのものだった。
 
ここからは、いわゆるロードムービーになる。
 
「海を見に行こう」という目的のためだけに、成り行きの旅をする二人は、マフィアの車をそうとは知らずに盗んでしまった経緯から、同車内で拳銃と100万ドイツ・マルク(ユーロに変わる前だったから)を見つける。
 
これをまもなく死ぬ身の怖いもの知らずと、儚いなりの死の前に「やっておきたいこと」をやっちゃおうとする妙なバイタリティが凄い。
根底はシリアスなのだが、映画の流れはアクション・コメディになっているからだ。
100万マルクの件も、拳銃の件も「ラッキーな車を手に入れた」という認識だけで、使いたいように利用してしまうのである。(ルディの方には当初、逡巡があったが、無鉄砲なマーチンのキャラに流されてしまう。)
 
とても軽快に洒脱に、笑いながら90分ほどで見られる映画だが、笑いながら「泣いてしまう」のだ。
 
いくつかの映画のシーンを下にキャプチャーしておいたが、思い返すと、そういう無節操さの「笑い」と、まさしく刹那的な「せつなさ」がよみがえる名シーンばかりだ。
 
超高級なホテルのVIPルームに泊まって、死ぬ前にやりたいことを語り合う。時間が無いので、お互いにまず「ひとつ」に的を絞る。
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ただ、最後の旅の共通の目的は「見たことのない海をみること」。
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これは移動中の街角で見つけた「海の写真パネル」。
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この「海を見たい」というキーワードは、映画を鑑賞する立場からの誰の胸の中にも、何かと「置き換えることが出来る」キーワードだ。
 
普通、人は「間近な死の宣告」などされたら、ショックで無気力になって"なにも手につかなくなって"、ただ、呆然と無為に、その残された時間さえ過ぎるままに過ごして終わってしまうケースが多いことだろう。
 
それでも、今しばらくでも、ほんの少しでも時間があるなら、叶うことなら許されるのなら、その体が動きさえすれば、やっておきたいことのひとつや、経験したいこと、見ておきたいもののひとつは誰にだってある。
 
やりたいことがいっぱいありすぎて選べなくても、煎じ詰めればおのずとそれは見えてくる。
 
この映画でさえ、死ぬときは「ひとり」で逝ってしまうことに変わりはない。
誰が傍にいてくれようとも、いなくても変わりはない。
でも、そこに至るまでに、かけがえのないパートナーと出会えたことや、その瞬間までに過ごしてきた時間こそが既に得たもの「海に溶け込む太陽の輝き」そのものだったと言えるのだ。
 
それは、少し妙な言い方になるが、「ちょっぴり羨望さえ感じてしまう」切なさだ。
 
死ぬことは、若すぎるとか十分に生きたとかは別にして、簡単に納得出来ることでも歓迎できるものでもないが、より良く死ぬことは、より良く生きたことだ。
そう願って、望むとおりの死に方なんてのは、そうそう誰にでも出来るものでもない。
 

冒険とは真反対の行き方に『鉄道員』(ぽっぽや)がある。
『鉄道員』(ぽっぽや)の佐藤乙松の人生の思い出や、職場での死に方は、あまりにも切ないが、美学があると感じてしまうのは、何も日本人的な感性だからというだけのものではないだろう。


しかし、だ。
 
映画『KNOCKIN' ON HEAVEN'S DOOR』の二人が、その人生に例え心残りや後悔があっても、現状の生活を肯定できれば"冒険"はなかった。

黒澤明監督の『生きる』も、「じつは生きていたとは言えない」職場と生活の日常から、主人公がはじめて「前向きな生き方」を選んでこそ、「生きた」ことになる。 

今までやっていなかったことをしようとするのも「アリ」だし、
今までやっていたことに誇りがあるからこそ、何も変えずに職場で戦死しようとするのも「アリ」だ。
 
自宅で過ごすことが日常なら、冒険なしで、自宅での日常を全うするのだって「アリ」なのだ。(「何も手に付かないから呆然と自宅で過ごす」、という意味ではなく、自宅の日常生活の流れにこそ「あたりまえの癒しがある」という意味において「アリ」だと思える。)
 
でも、一歩新たに行動できるのなら「命短し、恋せよ乙女」♪ ・・・なのである。
 
よく生きること、よく死ぬことは、国境や国籍を越えた人の共感があるように思える。
 
劇中のマーチンの発作のシーンはヤバイ。ルディよりも病状の進行が深刻だからだ。本作品で、よく俯瞰も真上から遠景に地上の様子を見下ろしたアングルが要所要所に出てくるが、これ、私には下界を俯瞰した「神様(天国)から視線」のようにも思えた。
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ルディの友を思う決意の、このシーンもヤバイ。
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「地上はいったい何をやっているんだか・・・」という一種ドタバタのアクションシーン。神様からの俯瞰の目線。ルディとマーチンたちと、マフィア、警官隊との三つ巴の追跡劇。銃弾戦。カーチェイス。
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そうして、カメオ出演的な、あの名優ルトガー・ハウアーの出演シーン。マフィアの大ボス。
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そのルトガー・ハウアーのセリフが、まんま「ブレードランナー」のレプリカント役「ロイ・バッティ」の最後のセリフ、あの詩的なほどに美しくて切ないセリフに酷似している。・・・これは、彼の出演を切望した監督の意図通りの(
ロイ・バッティのセリフを想起させる)ように思えてならない。
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ラストシーン直前。ルディとマーチンの眼前に「海」が見えてくる。
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その海の色は、空の色は、ぬけるような「青色と白」の描写ではなく、「夕間暮れの赤い色」でもなく、ひたすらに「灰色」なのだ。
 
この海の色、波の色の描写、空の描写は、私には少し意外だった。
青と白の目覚めるような色の描写なら、分かりやすいと言えば分かりやすいが、海は広く広く雄大で荘厳ではあったし、ふたりの目は釘付けになってはいたが、どこまでも灰色、ダークグレーの描写だった。
 
美しいだけの描写ではないことが、余韻を与える。
おそらく、彼らの心の中にこそ「鮮やかな青と白」の描写があるのだろう。
 
やがて静かにエンディング。
 
強く印象に残る、いい映画だった。
 
私が知らなさ過ぎただけで、このブログを読まれている方は「今頃お知りになりましたか」と思われてる人も多かろう。

でも、もし未見の方がいらしたら、ぜひ原典ドイツ版の
映画『KNOCKIN' ON HEAVEN'S DOOR』をご覧になっていただきたい。
 
さて、
 
最初の方に書いた、この映画を私が知る"とあるキッカケ"というのが、ニコニコ動画のMMDによる二次創作なのである。
タイトルを【東方MMD】 Knockin On Toho's Door 第6話 【映画オマージュ】と云う。
作者は、Curvemirrorman さん
 
【ニコニコ動画】【東方MMD】 Knockin On Toho's Door 第1話 【映画オマージュ】

MMDで、「東方Project」キャラなので、出てくるのはみんな女の子キャラに翻案されている。
女子化が、安直な萌え迎合や、拙アレンジと見るのは時と場合による。
これが、ひと目でそのストーリー性にこそ惹きこまれたのだ。(原典が素晴らしいのだから当然かもしれないが。)
 
だけど、二次創作者のMMDキャラの動かし方、演出、間合い、セリフの翻案やオリジナルシーン。
そうしたものが、真に巧い演出家、作者(アーチスト)がアレンジしないと、どんな名作もボロボロに成り得る。
 
ところが、この二次創作の動画作品によって、「あ、これはぜひ元の映画も見てみたい」と思わせるほどの(良作な)出来栄えだったのだ。
ある意味、それは「すごいこと」だ。

マーチン役を比那名居天子(ひなないてんし)。
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ルディ役を魂魄妖夢(こんぱくようむ)。
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『Knockin on Toho's door』
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テキーラを酌み交わす病院のキッチンシーンの再現が「静」の表現で見事だった。
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女性の言葉に置き換えられた名シーンのセリフが、印象的だった。
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妖夢「でも私、海を見たことないんだ」
 
この、妖夢
(
ルディ役)のセリフに対しての、天子(マーチン役)のセリフ回しが、映画の日本語訳の字幕より気の利いた言い回しになっていて良かったくらい・・・。
映画同様、このシーンに流れるメインテーマのBGM(サントラ)がいい。
 
天子「・・・冗談でしょ?」
「今までずっと生きてきて」
「それも もうすぐ終わるっていうのに、一度も海を見たことがないの?」
 
「天国では何が流行っているか知ってる?」
「天国では海の話をするのよ」
「夕暮れ時」
「太陽が真っ赤に染まりながら 海に溶けていくの」
「鮮やかな光が じんわり広がっていって」
「深い海の色と ゆっくり混ざり合いながら・・・」
 
「でも

「貴方はその話に混ざれない」
「かわいそうに」
「海を見たことがないんだから」
「天国ではきっと仲間はずれにされるんでしょうね」
 
天子のこの例え話に、妖夢はしばらく考えて訊ねる。
 
「どうにかならないかな?」
 
そして、病院を脱け出しての"ロードムービー"につながっていく。

とある街角での描写。二人はとある広告看板(かポスター)の前で立ち止まる。
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映画にもあったシーンの再現。二人が見たのは「大きな海の写真」。「やっぱり、(本物の)海がみたい。」
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神様の目から俯瞰しているようなシーンも再現。
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MMDドラマで秀逸だったのが「ピンクキャデラック」の描写。マーチンの願い、"プリスリー・ファンのママのために、エルビスが実生活で母親にしたようにピンクキャデラックをプレゼントしようとする"シーン。(実話では
1955年製のピンクキャデラックだったが)MMDでは、「キャデラック・エルドラド 1959年式」だった。
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この
エルドラド・モデルが素晴らしい。キャラクターが搭乗している様子も、「MMDって、ここまで出来るの?」と感心した。
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映画にもあったシーンが、背景、自動車、ライトの明滅、雨降りの描写まで含めて再現されていた。「MMDすげぇ~。この作者の構成力、動画編集すげぇ~。」と驚嘆した。
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映画の重要なシーンを12~13分ずつの動画に分割して、シリーズで6話まで、これまで作られていて、次回、7話が最終回らしい。

MMDerの動画は、まだ完結前なのだが、期待して楽しみに待っているところだ。
この「MMDer動画」のおかげで原典映画を知ることになったので、良い二次創作は立派にアートなのである。
 
こちらの「MMDer動画」のBGMの使い方も、今年の流行語大賞に因(ちな)めば、映画とは違う独自のアプローチがあって「神ってる」演出だった。
 
そうしたBGMとは関連が無いが、「生きる」ことや「人生」の描写的に、この「動画」や「映画」を見ていて、私が奇しくも想起したのは、
日本のミュージシャン"野狐禅(やこぜん)"の「カモメ」だった。
 
野狐禅 LIVE カモメ
 
人生って、何かしらしようとしても、何かをしていたつもりでも、ふと思い直してみると「違う場所に来ていた」ということは、ままある。 

それを戒めるのも慰めるのも、考え方ひとつのような気もします。 
開き直るのも、真摯な気持ちになるのも、どちらもあるがままを肯定するのは、ひとつの勇気や祈りなのではないでしょうか。
 
私はこれらの映画や動画や音楽を見て聴いていると、無性に泣けてくるのです。 

       

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週刊デアゴスティーニ 「1/43 ミレニアムファルコン」


週刊デアゴスティーニ 「1/43 ミレニアムファルコン」というのが発表されて、
2016年の1/5から創刊号は発売になっているもよう。
 
これはスターウォーズ・ファンというか、
「ミレニアムファルコン・マニア」にとっては、反則的な企画である(笑)。 

全長808mm、全幅596mm、全高192mm、重量7.5kgの迫力のレプリカで
~映画撮影用と同じ1/43スケールということになるらしい。
 
例によって創刊号こそ破格値だが、2号からは1,998円になって、これが約2年間、トータル100号くらいが刊行されて、ようやく「完成品が出来上がる」ということのようだ。

創刊号。参考画像では799円の表示だが、現行品は499円で販売されているもよう。だから、この下の画像のは先行地域限定発売版になるのかな。
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映画撮影プロップの1/1サイズの80cm、1/43スケールということは、「マスターレプリカ社」が扱ったあのレプリカコレクションと、まぁ同じ大きさということですね。ハズブロ社のToy「アルティメット ミレニアムファルコン」も、ほぼこのサイズなのだが、トイホビーのアルティメット ミレニアムファルコンと違って、こちらは「リアル・プロポーション」ということになる。
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2016年2月7日までにWebで定期購読を申しこめば、特典もあるようだが、本気で全巻購入しようと思えば、ちまちま書店に通うより、迷わず「全巻の定期購読」を現時点で申し込むしかないだろう。
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この手のアイテムは書店では、途中から扱わなくなってしまうケースもあるからね。ただ、全巻購入費用は結果的には約20万円ほどになる。
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毎号、解説書付で20万円のアイテムを分割ローンで買うような感覚なわけだ。(定期購読だと2週刊分2巻分ずつがまとめて送られてくるようだ。クレジットカード払いか、その都度の振込用紙払いかということになる。)
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こういう解説書の方も「お宝」になるのかもしれないが。週刊だから月8,000円×2年間ということになるのか。
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モデルは稼動ギミックやライティングなどのギミックも満載になるらしい。
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コクピットの照明も、これはデフォルトでこういう仕様になるのか?
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はたまた、これは個人モデラーのスキル次第になるのか?。よくわかんないけど。(あとでよくチェックしたら、基本的な電飾は本来のキットにも配線や装置ボックス込みで用意されているらしいが、さすがに色とりどりにはなっていない。こちらの画像は個人モデラーが光ファイバーを配線追加してLEDで光らせているのだ。腕に覚えがあれば、もうひと工夫でとんでもなく見違えるってことだな。模型素人にも優しいし、モデラーならさらにギミックアップ出来ると言う事だ。)
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毎号少しずつ付いてくるパーツも塗装済みだとか、いや、公開されている完成形見本がこれだと、これは劇中プロップの塗装としては未完成でしょ?と。素組みでも、そこそこの完成度にはなるとしても、結局は"モデラーとしての腕前"が仕上げ塗装で必要になる気配。
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船体の厚みのシャープさとか、前照灯のこの感じはリアルだよね。(ハズブロ・トイの「アルティメット ミレニアムファルコン」版だと4点照灯だったりしたから。ヘンなミサイル・ギミックも無いし(笑)。)
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そりゃ、完成品がこういう感じになるのなら、「マスターレプリカ社製」のものよりも安値で、このサイズが手に入るわけだけど。完成までには根気と茨の道だよねぇ。
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うん。
 
迷いの無いマニアなら「全巻購読決定」が必須のアイテムでしょうね。
 
途中で刊行中止になるなんてことは、ないでしょうし。
「完成品を目指すキット刊行もの」では今までのところ刊行中止なんてとんでもない事故はなかったらしいが。(いや、先行発売のシリーズでは「中止」というのが稀にあったようだ。そういう場合はそこまでの刊行分は「返金対応」だったとか。)
つまり、「売れ行きの芳しくない」不人気なシリーズでは、途中で続刊がなくなっちゃった、ということはあるらしい。それがたとえばどういうシリーズだったのかは私はよく知らないが。
 
いずれにしても、「1/43 マスターレプリカ社製」と同等サイズのものを分割ローンで、さらには少しはお安く手に入ると思えば、総額20万円も納得なのだろうが。
こうした模型やレプリカ商品事情に疎い人からは「高い!」と悲鳴があがっていますが。あと「でかくてジャマ」という感想も。いや、その「でかさがセールスポイント」なわけですから。
(マスターレプリカ社の完成品なら、発売当時で約30万~40万円弱の商品だったから、今やそれ以上のプレミアになってるかも。なにせウェザリング塗装済みの代物だからね。1/72スケールの「サイドショウ版」や「ファインモールド完成品版」でも完成品が10万円超えるくらいの価格だったからな。それに比べたら「デアゴスティーニ・ミレニアムファルコン」の20万円が高いとは言えなくなってしまうのである。一括払いしなくていいわけだし。)

でも、
 
まぁ、私は(今回のデアゴスティーニ・アイテムを)ポチる覚悟は(現時点では)ないな(笑)。
 
ハズブロがリアルプロポーションのキットを「ハズブロ ヒーローシリーズ ミレニアムファルコン」と銘打って出しているけど、あれは未塗装の半完成品だけれど、60cmサイズと大きいし、「1/72スケール ファインモールド ミレニアムファルコン」よりもスケール感では迫力はある。
こっちで手を打っていてもいいんじゃないか?とか思う。
尤も、あれ、12,000円くらいで少し前までは売られていたが、なんかスターウォーズの新作映画の公開と、話題の盛り上がりとかが売り手市場に働いちまって、今では倍の値段にハネあがってしまってるな。 
 
「1/72スケール ファインモールド ミレニアムファルコン」キットも、現時点では映画公開人気で、2~3年ほど前のオフシーズには1万円の中古値で流通してたものが、いまは元値19,500円より高い30,000円くらいの市場人気になっちゃってる・・・。まぁ、緻密さ精密感ではファインモールドのが決定版と言えるのだけども。

ハズブロの「アルティメット ミレニアムファルコン」もトイホビーでデフォルメ感はあるけれど、レア度から言うと、いまやこちらも「お宝」感あるからなぁ。大きさは、ほぼ1/43スケールだしね。例によって市場価格が高騰してる。絶版品扱いだから・・・。 
今回のデアゴスティーニ版の件を見ても、「大きさ」という観点では遜色ないので再注目アイテムですよね。・・・いずれこのトイホビー版も「フォースの覚醒版」で再販になるのかも?。レーダー形状とかがコンパチブルになって(笑)。

(但し、ハズブロさんのクセというか長所とも短所とも言えるのは、再販品ではパッケージデザインも含めて、商品内容まで旧作のままの再販とはならないのよね。モデル形状アレンジしたり、変なギミック追加したり、それが「良くなる」場合もあれば、「旧作の方が良かった~」などと、ファンを嘆かせることも度々なので・・・。これは、旧作持ってる人も新しいのを買わそうとする手口だし、新作買った人も「旧作版もやはり欲しい」とヴィンテージ・ショップに足を運ばせることになるわけ。・・・商売があざといですわ。) 

「スターウォーズ/フォースの覚醒」以降の映画シリーズも三部作の予定だから、しばらくはまたスターウォーズ祭りなんですかね。
 
アイテムの乱立は、ファンには痛し痒しですよ。
過去の商品にまでまたスポットがあたってるし。
新企画でもにぎわうだろうし。
 
ホビーに賭ける潤沢な財力と「愛」がなければ、とてものことに太刀打ちできません(笑)。

金銭面の懊悩をものともしない人には、これはチャンスの季節なんでしょうなあ。


 


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インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン by PINKNUT_INC | 2016-01-10 04:29 | 映画 | Comments(14)

映画「バットマン」のバットモービル♪

 
これもまた懐かしい写真が出てきた。
 
というのも、こうした形でご紹介するアイテムが、必ずしも今も私の手元にあるものではないシリーズを今後も掲載していくケースがままあるから、「過去形」でご案内するわけだ。

これは1/10スケールサイズの米国リッチマントイズ社製1989年型バットモービルである。
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映画の実車が6メートルほどの全長だったハズだから、このトイも60cmくらいの大きさだった。しかもこれ、RC(ラジコン)カーで走行するのだ。
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1990年代に発売されたのかな。例によって今は手元にはない。当時のアイテムとしてはプロポーションも抜群に優雅で素晴らしいアイテムだった。
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下の左となりに見えているのは、後年ホットウィール社が発売した1/18サイズのミニカー・バットモービルである。1/18サイズもミニカーとしてはけっこう大きい。
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本当に優雅なスタイルだ。で、時は流れてつい最近、ホットトイズ社からは、さらに1/6スケールの1989年型バットモービルが発売されたのが記憶に新しいが、そいつにいたっては全長1メートルもあったそうな。
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ホットトイズ社1/6バットモービルに関しては、マニアが飛びついたものの、ことに日本国内のマニアはほどなく「手放す」ケースが続出したようだ。1メートルのビッグホビーなんて、トイとしてもでか過ぎて置き場所に困ったらしい。日本の住宅事情では、トイもアメリカンサイズでは無理があるのだ。日本では、このリッチマントイズの1/10スケールくらいまでが限界じゃないのかな?。
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私は、この素敵アイテムを結局は手放したのはなぜだったろうか。(やっぱりジャマだったような気もする。)今にして思えば惜しいことをした。もっとも、このアイテムに限らず、その他の持ち物で、「阪神淡路大震災」経験者(神戸在住民)としては、あれでコレクションの大半をおシャカにされた覚えはある。
 
そこであらためて痛感したものだ。「カタチあるものは、いつかは壊れる運命(さだめ)」なのだと。
経年劣化。特に「天災」などには抗いようもない。「物を持つ」ということは所詮、どこか儚いものではあるのだ。

それでも尚、解脱(げだつ)できないのは業(ごう)の深さというより、私は「人の愛嬌(あいきょう)」だと思っている。ほど良く「欲」を持つことも「生きるチカラ」なのだと思えるからだ。
善哉、善哉。
 
さて、
 
ここで、とーとつですが。
ブログ記事的にもご報告が遅れたが、私、じつは最近引越しをしました。

 
私的にも、しかるべきところには転居報告もしてはいるが、もしかして伝わっていない方面の何らかのご縁の方もいらっしゃるかももしれないので、「連絡しておいてもらわないと困るじゃないですか」という方がいらっしゃれば、拙ブログアドレス宛にでもご連絡いただければと思う。
旧知の方には、ちゃんとご連絡申し上げます。(知らない方からのセールスは返信の限りではないですが。)
まぁ、昔に比べたら、うんと私の世間は狭くなっているので、これまでに知らせた所以外には、今のところ特に問題もないとは思うが・・・。
拙き者のすることゆえ、配慮が行き届いてないことがあればご勘弁願いたい。
 
そして、
 
過去、以前の居住宅時でもすでに色々と不用な持ち物や、コレクションの整理、処分はしていたのだが、(庶民派的な物欲が強くて、特にオモチャや本、雑貨もろもろに関しては所有したがる新陳代謝が激しすぎるのだ、私は。「倉を建てられる身分や甲斐性」はないので、持ち物に関してはトコロテン式になってしまう。)
つまり、その「引越し」というのは、そうした『もちもの』の整理が、次元違いにもっとも凄いことになる機会なわけだ。
 
おおむねバッサリと「もはやジャマ」と思えたあれやこれや(ものによっては『わぁああ、しまった!。大事だったものなのにうっかり捨てちまったぁ!、私は何を考えていたんだ!』)というような(あとから後悔するような)物まで含めて、いっきにスリムに、身軽にはなった。・・・マジ、今回の引越しでは大ポカやらかしてガッカリしていることがある・・・。具体的には書きませんが(笑)。
 
頻繁に短期間で「引越し」を繰り返す人も、世の中にはいらっしゃるようだが、そういう人は「馴れた手際」で行動するのだろうね。
 
私などはほぼ(ひとりでやるのは)初体験だったので、(昔、家族と一緒だった頃は、親が"引越し魔"で、子供の私は何も考えることなくあちこちに運ばれるままだったけど)いざ、自分の判断でする「引越し」は大変だわね。
普段、気にも留めないなべ釜のことや雑貨のことまで"てんやわんや"でしたわ。

ちなみに、もう「恥」を「恥」と認識しつつも「晒していくスタイル」で、極度に散らかっていた状態の自室の画像をあげてみる。
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なぜ、今さら晒せるかと言うと、現時点ではとても片付いているからである。ここに載せている画像は「今般の引越し前」の、とりとめもなく散らかっていた時の写真なのである。時系列的にも数年スパンよりももっと昔のこと。
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もはやゴミ屋敷的な趣さえある。原稿書いてた時は、このゴミ山(実はゴミではなく、それなりに必要なものばかり)の上に、ペンのインクやベタが乾くまで、並べて画稿を置いていたものだ。基本プリントアウトしたてのコピー紙と片付け損ねたガレージキットの箱やDVDパッケージが2~3日放置になってただけのことなので、1時間ほどもかからずに片付けだしたら片付く(まぁ、その1時間かとてつもなくメンドイんだけど)。断っておくがニオイなどもない。(あえて言えば、紙っぽい?。)
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でも、これは酷い。オーディオラックの扉も開けられないな。
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壁側、棚ざらしもこんな感じで色々と積みあがる。そりゃまぁ、そこそこの地震が起きればみんな落下して来て壊れますわな。
おしなべて、「今はこうではない」昔日の写真ばかりだ。

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もっとも、机の上だけは当時だって、これくらいには片付いていて、すべき作業があればデスクワークは出来る♪。

 
そもそも生活臭にかかわる必需品とは、また少し距離を置いたところにあるのがコレクション品なのだが。
(いや、なべ釜に比べて、距離を置くどころか、「空気」のように身の回りにいつもあったりもするのだけど。)
それは「精神世界的な癒しと必要品、愛着品」ではあるけれど、そのような嗜好と趣味で集めたものとは、いつしか縁が切れるときがある。
「趣味の変化」、「嗜好のうつろい」、「ぶっちゃけマイブームが去った」とか。
やや切実なところでは、家人がいた場合、家人の無理解や反対とか、経済的な問題とか(笑)。(私は嗜"たしな"みがないが、煙草ひとつだって価格的にキツイご時勢だ。カタチのあるものは消耗品ではないが、なんか喫煙や飲酒と大差はない気もする。ファンが見放せば消耗品と同じである。)
 
どのようなコレクション品とかも、時節折々にバッサリとやっちゃうことがある。
 
「引越し」はそうした機会のひとつになりますね。
 
愛着ひとしおで(処分せずに残っていた一部の思い出の品的なものは)一緒に新居に連れてきたものもあるが、サヨナラしたものが(圧倒的に)とても多いわけだ。

私の今後の記事は、「結局はチンケなもちもの自慢」のこともあったり、
「思い出を語るだけ」であったりすることが、ないまぜになっていくと思う。
「思い出だけ」のほうがむしろ多いスタイル。
 
まぁ、特にホビー、オモチャ関連に関しては、(誤解を恐れずに書くと)「庶民のささやかな楽しみと愉悦」の発露として語るばかりなのですよ。
「ホビーへの目線」は解かるわぁ、と思ってくださるかもしれない人が見て、なごんでいただければ幸いである。と思って書いている。
同好の士がおられれば「それ持ってたわ。」とか「いいかもね。」と入手の参考にしていただければいいし。
(過去記事のスターウォーズ・トイとかサンダーバードの話なんかは、モロにそれですね。)
 
単に「バカだなぁ~w 卒業しろよ、おい。」とか、生暖かく見ていただいてもいい。
 
「思い出」は心の燃料や糧のように、自分の中で"新たな何かを再生産"するエネルギーになったりする。
それが意外と大事なことなんだ。
 
ウルトラマンへの憧憬やリスペクトはどの世代よりも根深いかな。画像は海洋堂、メガソフビのウルトラマン、(左から)Aタイプ、Cタイプ、Bタイプの揃い踏み。名匠原型師 木下隆志氏の名作。
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どんだけ美少女フィギュアやハリウッドSFX作品の造形を愛しながらも、「ウルトラマン」や「怪獣」への愛着は別枠のDNAに刻み込まれている。
 
(くどいようだが誤解を恐れずに書くと)、マジのセレブ層は、本物のスーパーカー(もはや死語だな)を何台所有してるとか、どこそこのリゾートにこんな別荘持っています的な世界観の話になるのだろうし、そもそもそういう私生活なことはセレブは記事にはしないだろう。
それどころかネットには無関心な気さえする。
ビジネス関連や広報の発信ツールとしてのブログならスタッフや配下の者に書かせるだろうが、宝石やら税務署が狙いそうなものの自慢はすまい。
 
とはいえ、世の中ってわかんないから、無邪気に「もの自慢」をしてるハリウッド・スターが万が一いるかもしれないけどね。
嘘かホントか、ニコラス・ケイジが日本の怪獣の平成ガメラにハマったりして、来日時に某マニアショップで、撮影リアルサイズ並みのガメラフィギュアとか、その他の怪獣フィギュア類を大量に買って帰ったって都市伝説はマジなのかね?。
 
いやいやいや。それはそれでいいのだけども。
 
本当の庶民層は、「オモチャのためなら命も削る」くらいの、生活費とのバランス感覚との懊悩の中においても、なおもホビーを愛でたりしてるもんだ。
300円~500円ほどの食玩の出費に悩む程度の生活ね。
それだからこそ愛おしい。
なんて風に、少しばかり偏狭な視点の私なんかはぶっちゃけそう思っている。

そんな私の「昔持ってた」シリーズは、今後も続くかも。
「今のマイブーム」シリーズも折々には当然混じるかも。
 
ビバ!ホビー♪ オモチャは文化、なのである。
 
 
 

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ギャレス・エドワーズ 映画 『GODZILLA 2014』

ハリウッド映画『GODZILLA 2014』を見た。
遅れに遅れてDVDでようやく見ました。 

私はとても堪能いたしました。
面白かったですよ。
(※これはやはり、劇場のスクリーンで見るべき映画でしたな。)
 
ゴジラの迫力や、咆哮シーンのサウンドのビリビリ感は家庭のモニター環境でも、なかなかに凄まじかったです。
 
ゴールデンゲートブリッジで立ち往生しているスクールバスの窓枠越しに見るゴジラ。現実にこんな目にあったら乗客は阿鼻叫喚ですわ。
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そのゴールデンゲートブリッジ上では米軍のエイブラムス戦車(実物)が奮戦しているが、ブリッジの下には米海軍も展開していて、この辺りの(艦船とかは実物とCGがないまぜになってるのだろうが)たぶん米軍が実車両で全面的に協力しているであろうシーンは贅沢すぎる描写だ。
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キャプチャーし忘れたが、ことにコジラの背びれ、背中、巨大な尾と競演していた米軍艦船とのシーンは、私のような軍艦船、AFV車両のファンから見てると胸の高鳴るシーンだった。あんなシーンや合成は日本では無理すぎる・・・。
日本の怪獣物でも自衛隊の協力は得たりしてても、ハリウッドがやってるような1000分の1の真似も出来ない。公共道路やゴールデンゲートブリッジなどでの撮影も仕上げはCG合成でも、こんな大規模なロケーションも実際にやられているわけで、これは市の協力、行政の理解や協力が、「主要産業として地位を得ているハリウッド映画」だからこそ出来ることだ。
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今回、映画公開までほとんど情報がリークされなかったムートー / M.U.T.O.→ Massive Unidentified Terrestrial Organism(未確認巨大陸生生命体)の略~の姿、動作は、日本の平成ガメラシリーズのギャオスやレギオンを足したような形態であった。
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ムートーは雌雄がいてメスが圧倒的にでかかった。(羽蟻みたいに飛べるのは体の小さなオスだけである。)
これがコジラ(及び人類にとって)の敵役怪獣である。
怪獣の格好良さとしては好みの分かれる形態であろう。
ただし演出の巧さで、四肢に高下駄を履かせたような動きのせいもあり、上から人間を見下ろして目線を合わせる演技までさせるから怖い。(アメリカはアイアンマンとかといい、こういう感情を読ませない「目」の描写を怪人や怪物にするのが好きだよね、ホント。しかしムートーの感情面の描写、雌雄の仲むつまじさや我が子「卵」への執着や落胆、怒りの表現はとてもダイレクトに活写されていた。)
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さて、肝心要のゴジラの容姿に関してだが、いかつくてなかなかいい。
日本で言えば平成第一作目、1984年版のゴジラの頭部をうんと小さくして、体はうんとマッチョに、背びれはミレニアムゴジラタイプで、目は、ジュラシックパークのT-レックスの「頭部と目の比率くらい」に小さな眼孔で、所作に2005年版キングコングがそこここに入っている感じ。
イグアナ・ゴジラと較べたら、重戦車の主砲も、バトルシップの主砲も、追撃ミサイルも平気、イグアナ・ゴジラを沈めた戦闘機のミサイルも同様に基本的に平気だった。(鬱陶しがってる描写や少しは痛がってる描写はあったようにも思うが、基本、ほぼノーダメージ。)
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白眉は「放射能熱線」の第一撃と、追撃、追撃の描写である。
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ここはすごい。本当に凄いし感動的だ。
第一撃を吐く前の大きく胸部を膨らませて一気に吐き出すシーンは、これ結局、日本のゴジラではこだわれなくて描かれずじまいだったことだ。
悔しいのである。やられちゃったねぇ。

熱線吐きながら追撃の手を緩めない徹底ぶりも見事なものだ。
そして、それは、あの(全世界を含めての)怪獣映画最高の名シーンのひとつとなったクライマックスの「放射熱線ラストシューティング」の決め技につながる・・・。
両手ぶらりんのこのハリウッド・ゴジラの序盤の描写はまさにフェイクで、「お前、そんなに器用に前肢(まえあし)使えたんかいっ!」というツッコミと拍手喝采になる。
悔しいわ。あの描写はホント凄いわ。ウルトラ級の名シーンとなりましたわ。
(で、こんな凄い武器なら最初から刀を抜けというのは野暮そのもの。この熱線は、決してやり損じてはならないところでしか使えない「とっておき」なんだろう。使っちゃった後はライフゼロに近くなって昏倒してしまうほど消耗するのだろう。事実、ゴジラ、ラスト前には昏倒した。・・・まぁ、「ちょっと疲れたから昼寝」みたいなものだったが。昼寝よりは深刻な消耗だったのだろう。)
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この記事で前出のゴールデンゲートブリッジもあっさり中央部辺りで破壊しているから、「ゴジラによる都市破壊のカタルシスがほとんどない」とか言ってる人は、あそこだけでもどんだけの軍や民間人に死人が出ているか空恐ろしいと悟るべきです。
ゴジラ上陸の津波のシーンなどは、明らかに大きな自然災害レベルの犠牲者が出ているでしょうし、ほんとに恐ろしい。・・・ただ、映画ではあえてクローズアップせずに、そこら辺の詳しい描写を避けているだけだ。
だから、まぁ、都市壊滅の主犯はムートーだったにせよ、ゴジラは動くだけで大迷惑なのである。

そういうことを念頭に置いていれば、繁殖期だったムートーの子作り作業を阻止して、結果的に(一時的に)人類を助けた話にはなるが、ゴジラの去るこの↓シーンで(マスコミによる)「救世主だったのか?」扱いはおかしすぎる。
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人々はただ、呆然と立ち尽くすのみなのであった。
それが全てだ。
したがって、去っていくゴジラ、生きていたゴジラに万感の思いを馳せる芹沢博士役、渡辺謙さんの表情はとても印象的でしたが、終始、オブザーバーとして立会人の役目しか与えられなかったことは、いささか演技派俳優としては物足りなくはあった。
もっとも、この映画にクレジットされて渡辺謙さんが登場してくれていただけで嬉しく思えるほどの「たいそう立派な作品」でした。
怪獣の行動定義のストーリー・プロットは、どこか「平成ガメラ・シリーズのプロット」をいただいちゃってる感は臭うのだけれど、この辺はオマージュ、リスペクトと受け取りましょう。
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「雄たけび」というかゴジラの立ち去り際の「咆哮」。
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ここでコジラの体の回りに海鳥が羽ばたいてる対比にご注目あれ。
(※ちなみに、ここの全ての画像はクリックすると拡大します。)
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この映画は終始、予兆、予感的に怪獣の現れる前に「芸こま」な描写をふんだんに演出するのが心憎かった。
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合成があまりにも自然で、CGに出来ないことはもう何もないのでは、と思わせるくらい技術の凄い作品でした。そして、ただの技術驕りにならないのは、「演出」、「見せ方」のアートっぷり、職人気質やマニア魂、プロの気配りが一流だったので、爽快なのでした。
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ラストの暗転、ムービーキャストのクレジットシーンに至ったときには、あのサントラ音楽ではなく、もっとこう気分的に平成ガメラ一作目のラストシーン間際に流れたような感動的なスコアなら良かったんだけどね。
(閉幕直後にヘビメタやロック流されなかっただけ、怪獣映画としてはマシだったかな。) 


これでテーマ音楽にもっとこう重量感や印象に残る主旋律があればいっそう良かったのだけれど、音楽的にはサントラ盤を買いたいとまではいかなかったかな。
(それでも、あの旋律は今も頭の中に残っているけどね。ただ、「あれじゃない感」は私にはある。だからと言って、あのハリウッド映画で伊福部昭先生のゴジラのテーマをかけろと言うのは、それは「明らかに違う」とは、はっきり思う。平成ガメラシリーズで「昭和のガメラマーチ」をかけるべきとは思わないのと同じで、それぞれ別物なのだ。)

でも、「怪獣映画」としての雰囲気は良かったです。 

ゴジラの動かし方も、演出、カメラ割り、見せ方の巧さ、・・・これはもう、ちょっと日本でもまたゴジラ映画を某監督様方で再始動させることになったけど、製作予算の違いだけでなく勝てないのではないのかなぁ・・・。 

私は前回のハリウッド製マグロを食べていたゴジラの方も楽しめたのですよ。
でも、あれは巨大な突然変異生物のパニック映画であって「怪獣映画」ではなかったからね。 

今度のギャレス・ゴジラは「怪獣」でしたよ。

こうしたゴジラの演技はプログラマーがやるわけだが、ジュラシックパークの時にも、エンジニアたちには「生々しい恐竜の動かし方」など分からなかった。あの時その指導をしたのはかつてのストップモーション界の雄フィル・ティペット(元祖レイ・ハリーハウゼンの流れを継ぐ人)であり、やはり「匠の技」が無生物に命を与えるのである。
そうして今回は、アンディー・サーキスという人がゴジラのモーションキャプチャーを担当している。
日本で言えば着ぐるみ怪獣のスーツアクターみたいなもので、実はこの人、2005年版キングコングの3DCGにも演技付けしたご当人だ。
ああ、なるほど。だから、今度のゴジラの動作・演技にも"あのキングコングの所作が透けて見える"のは納得なのである。
 
ともあれ、 

ネガティブな感想を言う方もいらっしゃいますが。
まぁ、冒頭の「日本の描写がヘンすぎる」とか、ゴジラの敵方怪獣ムートーに「都市破壊のお株を取られて、なんとなくゴジラは行儀良かった(笑)」とか、いえ、画面ではあえて「そこをクローズアップして見せなかっただけで」、ゴジラの登場の仕方や動作で相当な被害、人死には出ています。とんでもない「大災害」映画なのです。

ただし「人間ドラマ」の描写の方は全体に空振りしてるっぽい感は否めなかったかな。

主演俳優として三人目にクレジットされている渡辺謙さんも、シナリオのせいだよね。影が薄かった。
主要キャストとして出ていてくれてるだけで嬉しいことだったけれど、主要キャストらしい見せ場やセリフはさほどなかったものな。
(劇中でチラリと触れられる「ヒロシマ」の件も、懐中時計の父の被爆証拠は、年齢設定的にギリギリ辻褄が合わなくもないからいいけど、・・・この映画「核爆弾」に関しての意味づけや、描写がヘンテコリンなんだよね。被爆国から見ると核を舐めすぎとしか言いようがない。『24 -TWENTY FOUR-』の核爆発描写でもそうたったけど、威力のある花火程度にしか描写できないのは核保有国としてのお家の事情なのかしら。)

これ、ドラマ的に人間同士の対立や、少々ステレオタイプになっても「こんな奴は怪獣に踏み潰されろ」くらいのバカもドラマ作りとしてはいてくれた方がいいんですよね。

そういうキャラクターがいなくて、みなさん中途半端にひたむきなだけで、またモブシーンも「愚かしいほどパニックになってる人の描写」はジャマになると判断したのか省略されてたし、どうにもその辺が煮え切らなかったよね。まぁ、そこを執拗に描くとあまりにも地獄になるから仕方がないか。

そういうのはやっぱりスピルバーグは巧いですけどね。「驚き」のほうに焦点をあてて演出に取り込むから彼の映画は感情移入はしやすい。 

それでも、こと「怪獣」の見せ方や演出はこのギャレス映画、巧かったですよ。

ゴジラの放射熱線の使わせ方や決め技としての演出は、日本人の作る着ぐるみ演出では思いもつかなかったやり方でしたよね。(たくさんの画像をのせつつ、未見の方のためにそこだけはバラしませんが。)
強力な尻尾の武器としての使い方ももっともな見せ方でした。

あと、ゴジラの演技付けに「見得を切る」ような演出がふんだんにあって、複数の敵方怪獣相手に苦闘しながら奮戦する様子や、まともにぶつかれば「じつは力の差は圧倒的」な感じの爽快さともどかしさの織り込み方は、ティラノザウルス相手に腕噛まれたり拳で奮戦していた2005年版キングコングの立ち回りを髣髴とさせて、ここらへん「怪獣プロレス」もハリウッド的でなかなかのもんでした。(監督はイギリス人ですが。)

勝ち誇りのゴジラの咆哮、決めポーズはは、まんま、キングコングの雄たけび+ドラミング(胸たたき)ですよね~。 

ギャレス・ゴジラは次作の製作も決定したようですが、キングギドラやラドンの登場も候補になっているのなら、それはもう楽しみですよ。
 
 
 
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『アバター』(Avatar)やってたのかぁ・・・。

昨夜、テレビで『アバター』(Avatar)やってたのかぁ・・・。

うぉ~い、見損ねた~!(てか、せっかくの地デジクォリティなのに、フルでの録画しそこねたぁ・・・。)

というのも、新聞報道の偏向の仕方に閉口して、もう新聞を取っていないのよ私の家。
新聞でいちばん役に立つのは、その日のテレビ番組欄の最新性だ。

それが今はない。

そりゃ、ちゃんと昨今の地デジテレビや地デジレコーダーには番組欄をチェックしながらの予約録画機能はありますよ。
但し基本的に私の行動はアナログ派なんだよね。
何かしながら新聞の番組欄を見るってのは気楽でも、いちいちモニターのスイッチ入れてデジタルの番組欄を毎日見るのは苦痛なんですよ。

つまり、その日のテレビ番組のチェックなんてする習慣はなくなってしまっているんだ、私。

テレビ番組は月刊誌のテレビガイド的なもので大雑把にしか把握していない。だから、「新番組がもうすぐ始まるなぁ」という事以外はチェックはザルなんであります。(しかも1ヶ月先行の番組表ってば、先の予定は「未定」と言う空白欄が多いのですよ。・・・だからと言って番組欄のためにまた新聞取るのもなぁ・・・。溜まった古新聞は捨てるのも重いし・・・。)

これ、テレビ放映の映画枠もけっこう未定だったりする。

それで、知っていれば「きっと予約録画していたハズ」の今回の、『アバター』(Avatar)なんてタイトルも見逃してしまった。
月刊誌のテレビ番組雑誌では空白欄だったから。

くっそ~。

私は好きな映画だったのです。「アバター」

メーターで言えば10点満点の10に振り切れるほど気に入っているわけではないけれど、やはり面白い。

ヒロインのナヴィ族のネイティリなんて、はるか前に「ダーククリスタル」っていうマペットを使った映画があったのだけど、そのヒロイン、ゲルフリン族のキーラに感じたような色気に通じる親和感を私は覚えた。
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要するに、こういうキャラ、嫌いではないのです。
CG臭さは普通にあったけれどね。・・・人類型のCGが事程左様に難しいと言うことです。
「恐竜」や「モンスター系」などの方が、そもそも人が実物を見たことがないだけに本物っぽくは見える。
3DCGとなると、(他の映画で)ワニやヘビでさえCGはCGなんだな、とは思うもの。(もっとも、2005年製の『キングコング』のコングやT-REXは凄かったなぁ・・・。)

でも大事なのはストーリーがちゃんと盛り上がるってこと。
ツボの抑えどころは上手いよね、やっぱり。
そこが出来ているからCG臭はすぐになんら気にならなくなるし、自然描写のとある瞬間には猛烈な感動さえある。

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※このシーン(断崖絶壁と海岸線に挟まれた翼竜族もどきの飛行シーン)は、荘厳なほどの美しさでした。
 
本編そのものは先にDVDで見てたから、地デジで来れば録画する気は満々だったのに。

致し方なし。・・・orz


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インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン by PINKNUT_INC | 2013-01-14 17:12 | 映画 | Comments(17)

『マカロニ・ウエスタン』が好き 2

『マカロニ・ウエスタン』が好き
~の続きだが、マカロニ・ウエスタンの3大スターと言えば、

クリント・イーストウッド
ジュリアーノ・ジェンマ
フランコ・ネロ
 
~だと私は思う。(異論はあるかもしれない。)
 
個人的には、リー・ヴァン・クリーフが悪役をやったり、主役もやったりでかなり好きなのだが、・・・「続・夕陽のガンマン」のイーライ・ウォラックなんて異彩を放っていて得難い個性だった。(この人は「荒野の七人」の山賊頭領役でも有名。)
 
ユル・ブリンナー主役のマカロニ・ウエスタンもあったんだよ。
もっと凄いのは仲代達矢さんが主役級の悪役をやっていた「野獣暁に死す」とか。
  
でも、やはりなんと言っても『続・荒野の用心棒』だ。
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この作品の主人公ジャンゴ(Django)役のフランコ・ネロは格好いい。
マカロニ・ウエスタンにおいて、ポンチョではなく黒装束のぶ厚いコート姿。
 
この作品は、なんかアメリカの「古今東西の、選りすぐられた名作を保存する」フィルム・ライブラリーにも、マカロニ・ウエスタンの枠を超えた「面白い映画(優秀な名画)」として殿堂入りしているらしい。
  
セルジオ・レオーネ監督作品(「荒野の用心棒」、「夕陽のガンマン」、「続・夕陽のガンマン」、「ウエスタン」etc・・・)では、ハリウッド製ウエスタンの王道部分~ロケーションにおけるスペクタクル性など~を守っていた雰囲気はある。・・・ある意味、本家を凌駕している"スケール感"や"スタイリッシュさ"さえある。
が、『続・荒野の用心棒』のセルジオ・コルブッチ監督の描写は、西部劇のスタイルとして出だしから掟破りである。
 
だいいち、西部劇なのに全編舞台が泥の町、「泥」の映画だ。

(セルジオ・コルブッチ監督のマカロニはもうひとつ、『殺しが静かにやって来る』というのがあるが、これなんか、もっと滅茶苦茶なカルトムービーである。こっちは西部劇なのに全編「雪」の映画だった。)
 
まず、『続・荒野の用心棒』オリジナルシーンのOPをどうぞ。「馬、山脈、草原、渓谷」の西部劇じゃない。
知らない人は、いきなり度肝を抜かれる。(~私は、この主題歌が大好きだ!~)
 
Django (Intro)
 
 
で、「ようつべ」でとんでもない「続・荒野の用心棒」オープニングを見つけた。
歌詞が日本語に吹き替えられている。~何故か濃い演歌調に聞こえる。
 
Django 1966 (Sergio Corbucci) Japanese song intro 
 
見て聴いて、笑ったというか、なんというか・・・、凄い。
 
ちなみに、動画をご覧になって、引きずられている棺桶を(この映画を知らない人が)不吉に思われたままでも困るので、ネタばらしになるが、ばらす。
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棺桶の中身は多砲塔機関銃でした。
主役が生き残るための必殺アイテムを隠匿運搬していたのだ。
   
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インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン by PINKNUT_INC | 2008-10-19 03:23 | 映画 | Comments(2)

『マカロニ・ウエスタン』が好き

『マカロニ・ウエスタン』が好きだ。
 
このノリは、自分の漫画に描きたくて、どうも、まだ描けた試しがないが、まぁ、漫画でやろうとすると失敗する。
映像や演出もさることながら、「音楽」のファクターが「マカロニ~」では重要だからである。
音の出ない漫画ではムリなんだ。
 
アニメで、そういうのがあるのかないのか、「マカロニ・ウエスタン」っぽいノリのBGMや演出を活劇部分のテーマとしてフィーチャーしているアニメ作品は山ほどあるが、全編が「マカロニ!」という作品は・・・、私は不勉強で、まだ知らない。
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劇映画で、マカロニ・ウエスタンが銀幕から退いたあと、「マカロニ・ウエスタンだな、これは」と思った後年の作品で、強く印象に残っているのは「ストリート・オブ・ファイヤー」と「キル・ビル」である。
 
マカロニ・ウエスタンと言えば、その残虐描写やギトギトした執拗な演出が鼻につく一面もあるが、今だからこそ、作劇的爽快感の部分は欲しかったりする私である。
 
えらいモノで、今でも「マカロニ」のファンは多い。
ウエブでも楽しいものに出くわす。
 
まずは、万が一「マカロニ・ウエスタン」を知らない人のために、どんだけ「くどい演出がステキ」か、~本来のBGMを同じ映画の別サントラを巧くはめたMAD~を見つけたのでそれを貼っておく。
 
『続・夕陽のガンマン』ラスト間近のクライマックスシーン、三つ巴の対決場面だ。
「いつ、対決するんやっ」と突っ込みながら見ましょう。
※映像的にはMAD編集されていない。実際の劇中シーンが本当に、3分間、撃ち合うまでひたすら睨み合いを続ける相当な演出なのだ。
  
The Good the Bad and the Ugly
 
これは「マカロニ」だけにとどまらないが、映画音楽の巨匠といえばエンニオ・モリコーネだ。
上の映像でも「音楽」のエモーションにに私は陶酔する。
 
で、ようつべで貴重なものを見つけて私は喜んだ。
エンニオ・モリコーネ御大の指揮によるライブ映像だ。(比較的、近年の収録じゃなかろうか)
上の対決シーンにオマージュされた曲「The Ecstasy of Gold」のライブが見られる。
 
Ennio Morricone - The Ecstasy of Gold (live in concert)

このコンサートでは、巨匠エンニオ・モリコーネの映画音楽の、ことに芸術色の濃い壮大なスコアが数多く演奏されたらしいが、その中に、しっかり「マカロニ・ウエスタン」関連が何曲かプログラムされていたらしい。 
 
欧米のファンにも当然のように「マカロニ・ウエスタンのエンニオ・モリコーネ」は敬愛されているのである。
 
で、『続・夕陽のガンマン』(原題「The Good, the bad and the ugly」)のテーマ曲も勿論、演奏されている♪。
・・・クラシック編成のオーケストラで、この曲の演奏シーンを映像で見るのは、なんともユニークである。
私はむしろ、おおいに感動した。実際にコンサートホールで聴いてみたかったものだ。
 
Ennio Morricone - The Good, the bad and the ugly (concert)
 
「マカロニ」関連ではもっと凄いのを見つけているので、次回、また紹介します。
 
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インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン by PINKNUT_INC | 2008-10-18 05:24 | 映画 | Comments(4)