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とっちらかった寿司の折詰め

閲覧者様からコメント欄への書き込みで、素朴なご質問がありました。
 
「絵」を描くときに、「美術の時間みたいに・・・、モデルさんとかいるのかなって?」というような主旨の内容でした。
 
人物に限らず、絵にするとき、なんだか誤魔化せない種類のものや、適当に描くとヘンな描写になりそうなものは、なるほど「資料」が必要になります。
 
空母や戦闘機、国会議事堂を描くとか、グランドピアノやオーボエという楽器を正確に描くとかね。 
 
人物にしても、スポーツのあれこれ、または男の立場から、女性の何気ない仕草や姿勢を「絵」として切り取るのには観察が必要です。

ユニークな1例をあげると、漫画家ではなくて、これはアニメーターの話なんだけど。
とあるアニメーターが「落として、中身がぐちゃぐちゃになった寿司の折詰め」を、製作中の作品場面の必要性から絵で描きたいという時。
本当に折詰めを買ってきて、わざわざ床に落として、箱の中で「ぐちゃ」と寄った、寿司メシやネタがとっちらかっている状態をスケッチしたという「こぼれ話」がありました。

そもそも、ここは男女の言い争いのシーンだった。
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女性の手からハタかれた「折詰め」が卓上に飛び、中を開けると「グッチャリ」。
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女性の手が、しどけなくネタの海老を拾い、
とっちらかった寿司の折詰め_c0137122_032894.jpg
シャリの上に乗せ直して、
とっちらかった寿司の折詰め_c0137122_032261.jpg
つまみ上げる。(で、口に運んで食べていた。)
とっちらかった寿司の折詰め_c0137122_0324048.jpg
これくらいのシーン、「寿司のチラシ広告」でも参考にすれば、あとは想像でも描けるでしょ?、と思えるシーンだが、そこではたと腕組みをして、本当に寿司を買ってきたアニメーターの探求心は偉い。
 
他にも人間の腕や指の仕草は、動画ではなかなかに難題で、男女が手をからめてるシーンを製作工房のスタジオの中で、協力してくれる女性モデルがいないときは、男同士が手をからめているのをもう一人がスケッチして、あとは想像力で男女の絵にするという事をやってたらしいです。
 
日常の生活の描写ほど「観察」は必要なんですよ。
漫画でもアニメでも同じ。(動画は、より妥協が許されない。・・・いや、妥協しているアニメが多いけど。)
 
テーブルと椅子があって、椅子を引いて座って、食卓に着く。
そして、テーブルと人の距離や、食卓の上の食事、食器に人が手を添えて食事をする動作の自然な描写。
 
ドラマは人の会話やストーリーの進行に興味を向かわせなければならないから、日常生活のこうした食卓の動作は自然に描けているほど、実は見逃されていきます。
それは、絵描きや原画家、動画家が『良い仕事』をしているからで、下手っぴが観察もリアリティも度外視して適当な作業をやらかすと、もう見ていて「とてつもなく気持ちの悪い動作や絵」にひっかかって、セリフやストーリーが楽しめません。
 
だけどね。
 
現実には、漫画やアニメで、食卓の風景や靴を履いたり脱いだりする動作を適当に描かれがち。(そんな描写に触れさえしない作品の方が多い。)
「視聴者が喜んで見てくれる場面でも、感心してくれる場面でもない。」というのが演出家の理屈だと思えるが、単にそんな事に興味が至らない演出家や、「描写出来ない」絵描きが多いのだと思います。
 
アクロバティックな描写が出来る。
人の日常の動作を難なく描ける。
 
両方が出来ている作品は、漫画でもアニメでも気持が良いものです。
 
さて、次回は上の画像に登場した「とっちらかった寿司の折詰め」シーンが描かれていた、名作『アニメ』のレビュー予定です。
(※上の画像だけでも、何のアニメか分かった人は、ディープなマニア。もしくは私と気が合う人。)

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン by PINKNUT_INC | 2008-07-17 00:16

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