ミレニアムファルコン ~Millennium Falcon~ の魅力
2016年 04月 19日
デアゴスティーニの「週刊ミレニアムファルコン」の方は、店頭の方も落ち着いてきたというか、もう、「熱気的には、最初期の高揚感は過ぎちゃった」みたいな所はある。
分冊百科ものの、いつものことでありますから。
ここから先は、「定期購読」を書店経由か、デアゴスティーニさんに直接申し入れた好事家たち(真性マニア)が、完走するまでの長い道程となるわけでして。
私の知人にも「定期購読」を決めた人はいるので成り行きは見守れそうです。
(2年後には祝賀会だな(笑)。自分の過去2年間を思い返しても、今となってみれば、「あっ」という間だったものな。「やり通すことを決めた」人々に祝福あれ。)
マスターレプリカ社のデザイナーである、Steve Dymszo氏。
この辺はすでに、過去の別ジャンルの「キットもの」でも、"ソフビ材質"と塗料が合わなくて、後年「塗膜がベタつく」なんてことを商業ベースでアイテムを発売した、日本のメーカーですらやらかしているので、ユーザー側でも勉強はしなければならない所だ。
「着陸脚」(ランディング・ギア)に関して。
こういう映像があった。
ユーザーが塗装する方がずっといい。
(ここで、「模型塗装が皆目出来ない、わからない」って人は置き去りにされてしまうわけだが、これくらいの価格のアイテムを本気で買う人は、経験が豊富だろうと、やや心もとなかろうと、そりゃあ、「覚悟の上」だろう。)
少なくとも、本体の「成型色」まではいじる必要はなく(下手に全体塗装すると、先述のとおりパーツがもろくなってしまう怖れがあるから)、「ウェザリングに凝る」、この一点だけなら、なじみのなかった人もチャレンジすべきでしょう。
塗装道具として「エアブラシ」は欲しいけれど、ピンキリあると言っても、そこそこ高価。エアーも要るし、手を出せる人、出せない人がいる。(使いこなすスキルも必要になってくるし・・・。)
なら、せめて、タミヤの「ウェザリングマスター」は数百円のものだから、これでちょちょいといじってみよう。(AFVキットでも重宝するツールです。女性の化粧道具の模型版みたいな風情のやつなのだ。)
「今回の企画で"スタジオ撮影用模型"が世界中に出回って、希少価値が減る」と嘆くマニアさん。
とんでもない。
キットは商品としてヒットすれば大量生産品にはなるけど、あくまでも「素材」ですよ。
「塗装済みで、スタジオモデルのレプリカを再現」というのが、一部の造形的、そして全体的な"塗装の手抜き"でもって、今般のデアゴスティーニ・ミレニアムファルコンは、結局「未組み立て、未塗装のパーツの分割提供」ということになってしまっているのだから、「あくまでもキット」なんです。
無加工でまんま組み立てておわり、ということではない限り、ひとつとして「おんなじ完成品」にはなりません。
みなさん、塗装や、造形的なカスタムでも工夫はされるでしょう。
ピンからキリまで色々な1/43スケールのミレニアムファルコンが世界中で出来上がることでしょうね。
それらは、ある意味でのワンオフ品にはなりますから、きっと「手練れの達人」が完成させたものは、本家のスタジオ模型さえ凌駕するようなものまで出来上がるのかもしれませんね。
で、こっちは1/43スケールサイズの迫力が、最大の「売り」なんだけれど。
お話は変わって、
某オークションサイトで、バンダイの1/144スケール「フォースの覚醒」版の、こんな完成品が出品されていました。(もう、オークションは終了している。)
これ、つい先日のことなので注目してみていたのだけど。
出品画像、お借りしてしまいました。
なんと、落札金額が、305,000円 だった。
マスターレプリカ社、「スタジオ撮影模型レプリカ(完成品) 1/43スケール」の発売当時の価格に近い。
まぁ、落札者さんがこのアイテムに「恋して」しまったんだろうねぇ。
入札競合者は、どこかの社長さんか、お大尽か、タレント収集家かな?。
本体の全長が20cm(センチ)くらいの完成品なんだよ?。
普段は、この1/144スケールのアイテム、もとは定価で5,400円くらいのキットで、そこそこの名人の作った完成品が(塗装だけのもの、ちょっとした電飾がされたものでも)、3万円前後くらいの相場で落札されていたが、今回のは「台座も凝っているし、5万円~7万円くらいの価値はあるかなぁ。」とは私もウォッチだけしていて思っていたが、結果は吃驚だよ。
「1/43 デアゴスティーニ・ミレニアムファルコン」で、この1/144スケールをまんまスケールアップした上で、同じクォリティの台座や本体の塗装、電飾が出来たらいくらの価値がつくのかね?。
もっとも、「1/144スケール」でここまでやったからこその評価額だったのかもしれない。
でかけりゃいいってものでもなく、コンパクトさに、この「緻密感」。
そこに高評価だったのかもね。
ともあれ、
・・・まぁ、こういう「カタチあるもののコレクション」ものとか、そもそも「所有すること」、それは生活に密着したもの、趣味ごとや、人生に不可欠なものや「潤い」や「座興程度」のものも含めて、みんなみんな、大切な"思い出"にはなっていくんですよね。
カタチとしてあとに残るものも、そうでないものも。
ただ、カタチあるものに関しては、生活の基盤の「住宅」や「日用雑貨」まで含めて、この日本といういう自然災害国においては、一気になにもかも奪われてしまうようなことが起こり得る。
今回の九州の熊本、阿蘇、大分のことを思ってしまう。
そんなことを考えると「ものを持つことが、ふとむなしくなってしまう」なんてこともあるけれど、
それはまた違うかな、と。
"その都度、よりよく生きていれば"いいんですよ。"楽しめていたり"、"一所懸命であったり"。
かつての「阪神」の震災で、私もいっぱい"もちもの"壊れたし失ったけれど。(命は助かった。)
そして、ライフラインが断たれた。(「電気、水道、ガス」すべてね。「電気」だけが復旧が早くて助かったけど、水は1ヶ月以上、ガスは2ヶ月以上復旧しなかった。)
思えば、普段の生活で水道水が自由に使えること、毎日でも風呂に入ったり、シャワーを浴びられること、贅沢なことですよね。
店が営業してれば、食べるものも普通にあるし。
ライフラインが止まるような事態が起こらなければ、あたりまえのこれらのこと。
やわらかな寝床がある。
お気に入りのもの、雑貨や趣味ごとの品物まで身の回りにある。
何かを得られない、枯渇感にさいなまれるよりも、いまあるもの、今まで経験してきたことに「しあわせ」を感じることは、私たちには大切なんだよなぁ。
今回の被災地では、天災の予感など何人(なんびと)にもあるハズはなく、上で話題にしている「週刊ミレニアムファルコン」のファン、愛好者も少なくなくいらっしゃったはず・・・。買っていた人もおられるだろう。
そんな一例に限らず、趣味ごとなど吹き飛んでしまって、「今日の飲み水」、「生活水」、「食事」、「毛布」の心配や不安、調達に翻弄される日々となってしまった。
かつて私も経験したけれど、とまったライフラインのせいで、水の調達に(うちの地区には給水車さえ来なかった)、歩いてひと山登れば水の出る地区があったから、そこまでポリぴんを「引き車(キャリングカート)」に乗せて歩いて通ったものですが(これが日中の主な仕事)、食器洗いの水どころか、トイレの水には困りましたよ。体も乾いたタオルで拭くしかない。
その水汲みに通っている間にも、戸外でドーン!、グラグラッ、という感じの大きな余震が何度となく来る。
「恐怖」とともに、少しばかりの「怒り」までも"自然"に対してわきあがってくる始末。
そんな日常。
あの時、私の持っていた「コレクションアイテム」も「家具・家財」も大量におシャカになりましたが、「残念」と言うより、どうでも良かったなぁ。
震災直後は母親は箪笥の下敷きになったものな。やばかった。
よくぞ救い出して、つい先年、他界するまで、さらに20年以上の元気な寿命があったわけですが。
なんか、自分自身や、自分の家族や身の回りも世間でも色々なことが起きる。
こういうブログの記事を書いていて複雑なところです。
それでも命を繋いだ者は、コップひとつを新たに持ち直すことから始めて、またやり直していくのです。
by PINKNUT_INC | 2016-04-19 10:07 | ブログ